6: 名無しさんといつまでも一緒 04/10(金) 15:29:53.36 0
これが始まりだった。
気持ちの整理がつくまで待って欲しいとの返事が来た。妻の実家も都内なので、今度の土曜日にそちらに行くからとメールしたら、翌々日の遅い時間、妻の代わりに義理の父が1人でやって来た。
会社帰りの様子だった。
非常に深刻な顔つきだった。何でしょうか?と聞くと、本当に申し訳ないと言い、
「娘が妊娠した」
「娘が言うには、それは貴方の子ではない」と。
貴方とは避ニンしていたので、多分、貴方の子供ではないと娘は言ってる。
多分、誰かと浮気でもしたに違いない。
それでなければ妊娠するわけがないと怒りの表情だ。
「私も妻も大変なショックだった。こんなふしだらな娘だとは思いも寄らなかった」
「おまけに相手は誰かと問い詰めても、頑として白状しない」という。
今日、義父がここに立ち寄ることを妻には言っていないらしい。
義父は続けて、
娘に堕胎を進めたが、産みたいと言って聞かない。
自分の娘とは思えない。
一体、どうするつもりか?
「お詫びのしようもないが、こんな娘だから貴方と離婚させるしかないと考えて今日は伺った」
手塩をかけて育てた一人娘を非難せざるを得ない義父の心情を考えると、何も言えなかった。
体を小さくすぼめた態度と血の気を失ったような義父の顔が事実を告げていた。
当時、僕は28才。
商社に勤めていて、資源関係の仕事で年に何回も海外に飛んでいる。
妻とは同期入社。
初めて会った時、この人とピンときた。
妻もひょっとしたらこの人と結婚するかも、と思ったらしい。
すぐに付き合い始めた。
入社すぐに結婚するわけにもいかなかったので、2年ほどの婚約期間をおき結婚した。
それから3年も経っていない。
妻に何が起きたのか?
義父が帰っても本当に頭が回らなかった。
浮気して妊娠とは!
まず離婚は避けられない。
離婚の2文字と、妻の妊娠という身に降りかかった壁の高さにたじろいでいた。
不思議と妻の浮気、裏切られたショックを感じていなかった。
慰謝料しっかりもらって離婚したら?
しかし、玄関で立ったきり入ろうとはしない。
数日でこんなにも変わるものか。
化粧もしていない。
寝不足なのか目が落ち窪んでいた。
ただ、妻は想像を超える重圧を受けているに違いないと感じたのは間違いない。
貴方を裏切ったことは本当にゴメンなさい、から始まったと思う。
妻は、妊娠したと分かってビックリし、後先考えずに実家に逃げ帰ってしまったと。
どうしても私には堕ろせないという。
堕ろすことを考えるとシにたくなる。
貴方の子供なら良かったのに。
僕の子供ではないのか?と聞くと、違うと思うという。
この時、唇を噛んで初めて目に涙が浮かんだ。
コーヒーは僕が入れたのを覚えている。
妻は、両親には話せなかったが、貴方には本当のことを全部話すという。
どこまで書くか難しいが、
簡潔にまとめると、大学のゼミの指導教官だった准教授が妻の相手だった。
なんと妻は、ゼミの時代、約1年近くこの准教授と付き合っていたと驚くべき告白をしたのだ。
当時、先生は40代前半。
当然、結婚していて子供が2人いるとのこと。
卒業してからはその関係は切れたし、もう会うことも無いと思っていた。
しかし、ゼミ仲間から、先生が別の大学の教授になるのでお祝いをしたいと誘われた。
全員が出席するのに自分だけが不参加とは言えなかった。
僕は、お祝いの飲み会は妻から聞いていた。
約2ヶ月ほど前のことだったはずだ。
飲み会が終わって解散した後、その准教授から誘われた。
2人とも酔っていた。
何回も断ったのだが、正直、僕が海外出張中だったので気が緩んでいたという。
最後は断りきれずに、これが最後と約束して着いて行ってしまった。
終わってから、先生が避ニンしていなかったことに気づいた。
そして妊娠した。
産みたいと言ってるのに堕ろせとは言えなかった。
しかし、その准教授に話すべきと説得した。
許しがたい。
准教授を非難しているうちにだんだん言葉が荒くなってくる。
妻は、先生が離婚をして自分と一緒になるつもりも無いだろうという。
貴方とは別れたくないが、浮気も妊娠も許されることではないので別れるしかない。
子供は産たい。
当分の間、義母の助けを借りて一人で育てるという。
想像すら出来ない人生だ。
戸籍上、父親のいない子供になるぞと言うと、それだけは子供に対して申し訳ないと言ってエンエン声を出して泣いた。
夜になり妻は実家に帰るというが、ぼくは引き止めた。
このまま返せば結論が出てしまう。
妻の体は冷たく僕の腕の中でブルブル震えていたが、そのうち寝息を立て始めた。
その寝顔が安らかだった。
自分はどうすべきか?
そして、翌朝、妻の入れたコーヒーを飲みながら、寝ないで考えた自分なりの考えを妻に伝えた。
君とは別れない。
子供は自分たち夫婦の子供として育てると。
昨夜の寝顔を見ていると、君が一人で背負っている重圧をとても放置できないと思った。
君が不憫だ。
僕はどんなことがあっても君を支えたい。
君も僕といることが最も安心できるはずだ。
多分、うまく言えないが君を愛している。
妻は言葉もなく呆然と僕を見ていた。
そして、ワッと泣き出した。
しかし、泣きながら、本当に貴方の申し出を受け入れて良いのか分からないという。
こんな自分を許してくれるのかと。
昨日から堕ろせとは一度も言っていない。
この気持ちは何なのかをずっと考え続けたと妻に言った。
君が守ろうとしている生命。
たまたま宿った生命を奪うことが良いことか?
そう考えると、許すとか許さないとかは念頭に浮かばなかった。
君は過去は消せないというが、子供を産みたいと言う君の気持ちの方が尊い。
多分、君が子供を堕ろすと言えば違う判断になったと思う。
僕だって再婚するかも知れない。
それなら、一時の過ちで離婚しなくてもいい。
2人で乗り越えればいい。
僕を信じろ、と言いながら妻を力いっぱい抱きしめた。
その日のうちに義両親を訪ねて僕の結論を伝えた。
妻の子供を産みたいと言う意思を尊重すること。
夫婦で子供を育てること。
義両親2人共に驚愕していたが、義父は、君は本当に自分の子供として育てられるのかと。
自分の子供が生まれたとしても、分け隔てなく育てることを約束できる。
この結論に至って、今の心境はむしろ清清しいくらいですと応えた。
これは本心だった。
義両親共に涙を流した。
義母に至っては声を出して泣いていた。
義父が至らぬ娘を許して欲しいと言うので、僕は妻の全てを受け入れましたと応えた。
妻の過ちは聞いたが、誰にも言うつもりはないしその相手に接触するつもりもないと宣言した。
これは妻との誓約だった。
義父は、将来、生まれた子供が自分の子ではないと伝えるかと聞いた。
一番難しい質問だった。
必要に迫られれば伝えるが、基本は伝えないつもりですと答えた。
女の子だった。
出産に立ち会った。
妻の苦しみと頑張りを見ていたら、僕は貧血を起こして倒れてしまった。
看護師は、付き添った夫が倒れることがあるという。
笑い話にもならない。
赤ん坊はみな可愛い。
僕に似ているという人もいたのには驚いたが、反面、嬉しかったのも事実だ。
しかし、3ヶ月もすると目鼻立ちが妻に似てきたので内心ホッとしたのも事実だ。その頃、義両親も初めて孫を抱いた。
その表情を見て僕はやはり離婚せずに良かったと思った。
その後、男の子2人を得て5人家族になった。
子育ては難しいものだが、子供たちはそれぞれ個性を持ち始め、毎日、成長を見るのが楽しい。
将来が楽しみだ。3人ともこのまま立派に成長して欲しいと願っている。
長女は本当に自分の子供ではないのかとも感じている。
妻は今も自責の念が抜けていない。
時々、そんな表情を見せる時があるが、口にすることはない。
3人の子供たちが一緒になって遊んでいる姿を見ると、誰の子なんて些細なことで、
まさしくこれが家族だと思う。
長々と書いたが、10年経ったいま、自分の判断が正しかったと改めて思っている。
言いたかったのは、誰の子なんて些細なことで、てことだね。ご立派。
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