そんな日々の中で、ついにA子の堪忍袋の緒が切れた。
ある朝、A子は自分に痴漢していた男の手をがっしりつかみ、「この人痴漢です!」と叫んだ。
当時、痴漢は犯罪であるとはわかっていたが、女性男性を問わず、
「大したことではない」「やり過ごすのが当然」、
なんなら「隙を見せた女性が悪い」「男を誘うような恰好をしているのが悪い」「減るもんじゃないし」と考えるのが普通だった。
さらに男性のなかには「痴漢が趣味、誰にも迷惑をかけてないし」「痴漢されるのを待っている女もいる」
「女だって気持ちいいはずだ」などと公言してマスコミに出てくる大馬鹿もいた。
そんな時代背景であったから、A子に加勢してくれる人はいない。
痴漢は駅についてドアが開くなり、A子を振り切ってホームに逃げた(学校のある駅ではない)。
A子はそいつを追ってホームに飛び出し、朝の駅が混んでいたから痴漢がうまく走れないのを幸いに、追いついて服をつかみ、「この人痴漢です!」と叫び続けているうちにやっと駅員が来てくれた。
A子が「警察を呼んでください!」と駅員に訴えると、痴漢は「やってない」と言い張り、
駅員も「え~それくらいのことで」という態度だったが、A子が譲らないので警察が呼ばれた。
警察が来ると、痴漢はたぶん怖くなったんだろう、やったことを認めた。
A子は「被害届を出す、裁判もする」と主張した。
15歳の女の子がですよ。
とりあえずA子の親が迎えに来て、その日はそこで終わったらしい。
遅刻もしたことのないA子が学校を休んだので、私たち友達は「どうしたんだろうね?」と言っていたのだが、翌日にA子から上記の話を聞いた。
結局、A子の両親が弁護士を雇って、痴漢とは示談が成立した。
裁判をしたところで“微罪”だからわずかな罰金か執行猶予だろうし、
なにより“個人情報の保護”という概念がなかった時代のことで、
A子の名前も住所も痴漢に知られているから、“お礼参り”をされてしまう危険がある。
たぶん示談にする代わりに、A子に二度と近づかないという条件を盛り込んだんだろうし、
A子の両親の判断は正しいと思う。
しかし、A子の本当の修羅場は下記の2行。
「お金なんかいらない。痴漢は犯罪でしょう。犯罪なら裁判をして有罪になるべきでしょう。
なんでそれができないの。こんなに嫌な思いをして、怖い思いをして、なんでお金で済ませられるの」
A子はそう言って泣いて両親に訴え、その話を私たち友達にしながらまた泣いた。
今でこそ示談はお金よりA子を守るためのもので、最も現実的な解決法だったとわかるが、そんな“大人の事情”は15歳の悲嘆と憤怒を収められるものではない。
私達もA子と一緒に悲しんで、怒ることしかできなかった。
A子のことは、クラス中どころか学校中の噂になった。
男子のほとんどは「うへー」「A子こえー」「よーやるわー」という雑なリアクションだったが
ただ一人、「痴漢は犯罪行為なんだから警察に通報して当たり前だ。でもA子にケガがなくてよかった」
という、至極まっとうな感想を述べた隣のクラスの男子と、A子は大学を卒業してから結婚した。
あれから40年。
A子はずっと、理不尽な目に遭っている女性を支援する仕事をしている。
結婚の下りで一気にネタ臭が