278: 名無しさん@お腹いっぱい。 02/15(月) 15:40:27.71 .net
さて、嫁ですが、不貞期間は合計1年ほどでした。
私が気が付いた時点で既に5カ月ほど経過していたようです。
私は妻を愛しておりましたが、それはそれ、これはこれと罰を受けてもらう事を泣きながら考えました。
まず、ある地方の1DKリゾートマンションを購入いたしました。
交渉の結果、大変お安くして頂き、込々でも60万でした。
また、管理人・不動産屋への説明に、妻が精神を患っており、療養の為に滞在したい。
したがって、外出したりも無いし、他の方へのご迷惑は掛からないように部屋をある程度改築したいと申し出ました。
ですので、上下左右に住民の方が居ない部屋を希望させて頂きましたが、両者とも快く快諾くださり、契約の運びとなりました。
ただし、退去時には修繕費用が別途掛かるとの契約が痛かったですが。
また、もう一つの備品として足環を用意致しました。
この足環と天井裏の梁とをワイヤーで結び、部屋の移動は出来るように、しかし、部屋から外へは出れないようにしました。
天井に穴が開き、不恰好になりましたがしょうがないと観念致しました。
ちなみに、繋ぎは外れないように溶接してあります。
窓も表と裏、両方に割れないようにフィルムを二重に貼り、窓も開かないように鍵を増設致しました。
ドアも中から開けられないように外側にも南京錠を溶接してかけました。
簡単に申し上げますと、窓もドアも開かない、外に出れない個室を作成いたしました。
ワイヤーの可動範囲は6畳の部屋、トイレ、風呂、キッチンは移動できますから、基本的な生活には問題はございません。
刃物類やドライバーなども、安全の為に特殊な物を用意致しました。
反省の為の部屋ですから、テレビやラジオ、書籍、パソコンなどは有りません。
洋服なども新たに揃え直しました。
足環があるため、普通の服やズボンは履けませんので。
家電も最低限必要な物は用意致しましたし、これで妻を迎え入れる準備は整いました。
お蔭さまで私のおこずかいは枯渇しかけましたが。
さて、私の準備が終了いたしましたので先人に習い、各方面へ内容証明なる物を配達させて頂きました。
私が気が付いてから1ヶ月ほど、プロの方に監視を頼んでおりましたので証拠はございます。
また、配達に合わせて、私も安宿へと拠点を移させて頂きました。
嫁の携帯(スマホ)は既に私の監視下に御座いましたので、曜日を特定する事はそこまで難しい事ではございませんでした。
嫁へは離婚なら慰謝料100万+財産分与無し。
再構築希望なら、私の提示する処罰を受けること。
お相手には500万と遺失利益として月10万×12ヶ月で120万の合計620万です。
遺失利益は嫁が不貞の為帰宅が遅くなったので、私が夕食を取れなかった。
その代価として請求させて頂きました。
弁護士を介在しておりませんので、妥当なのかどうかは判りかねますが。
我が家の会計は私がほぼ握っておりましたので、嫁に隠し財産が有っても余り金額は無いと踏んでおりました。
こちらの希望通り、嫁は再構築を希望してきましたので、詳しいお話合いです。
詳細を泣きながらでも喋り、許しを乞うて来ましたので再構築となりました。
併せて派遣でしたが職場も退職し、専業となりました。
これで嫁の方は片付きましたので、次はお相手の方とお話合いです。
流石に嫁に黙ってこれだけの金銭を用意するのは厳しいとのことで、私も妥協いたしました。
合計で220万ほどです。
ただ、彼はこの時点で選択を誤ったのだろうと思いますが、後の祭りですね。
相手に謝る事なく、怒りをおさめさせない。
残念ですが、結果論です。
これにて都会での処置は完了致しましたので、次の段階へと移りました。
嫁のご両親及び私の両親を呼び、経緯を開示いたしました。
今後は嫁は処罰を受けること。
しかし、離婚はしないこと。
処罰を受けている期間はご両親と言えども、連絡を直接は取れないこと。
反発・反論無く、全て私のプレゼン通りに進みました。
一番の難関と思っておりましたので、正直胃が痛かったのを覚えております。
そのまま一週間を過ごし、ある日嫁に強めの酒を飲ませました。
私はほとんど口にしませんでしたが、酒に弱い嫁は直ぐに泥酔状態となりました。
やっと移動の準備がこれにて完了です。
私の二重生活が始まります。
新居(マンション)に移動し、嫁の服を脱がし、足環をし、新しい服を着せ、布団に寝かせてあげました。
布団は一組しかなかったことに気が付き、寒かったのを覚えております。
翌日、嫁が起きました。
見たことの無い空間にきょとんとしておりました。
その顔を見た時、やはりまだ私は嫁の事が好きなのだと思いました。
告白した時、プレゼントを渡した時、プロポーズした時、サプライズで色々とした時、同じようにきょとんとしておりました。
あの時と変わってはいなかったのです。
そして、私はその大好きな嫁に告げました。
ここで生活をするんだよ、と。
必要な生活物資は週に一回、私が運んでくる。
他に必要な物は翌週に届ける。
不便な生活だが反省期間はここで一人で生活してくれ、と。
嫁は泣き叫びましたが、私は心を鬼にして、部屋を出ました。
ドアを閉めると防音が利いているのか、あれだけ喚いていた嫁の声が聞こえなくなりました。
寂しく思いましたが、一人、家へと帰宅の途に就きました。
一週間後の金曜の夜、そろそろ雪も降り始めようという時期でしたが、近くのスーパーにて食料品と必要な物資を買い込み、再びマンションを訪れました。
ドアを開けた瞬間、嫁が飛びかかって参りました。
どうやら一週間、電話もテレビもラジオも書籍も、カレンダーも筆記用具も何もない部屋でただいるだけが辛かったようです。
足環もあり、生活は出来るが不便で仕方ないようでした。
私が部屋を確認すると、ワイヤーを引っ張った形跡と窓を割ろうとした形跡がありました。
どちらも問題は無さそうなので、そのまま放置と結論付けましたが。
荷物を置き、必要な物は無いかと聞きましたが、出せ・帰らせろと叫ぶだけでしたので私はそのまま部屋を出ました。
その日は漫画喫茶に泊まり、翌土曜日、再度顔を出しました。
また同じでしたのでまた来週来るとだけ告げ、ゴミを持って帰宅いたしました。
ここから4カ月はほぼ同じことの繰り返しですので、割愛いたします。
嫁が新居でひとり暮らしをし始め、5カ月が経過しようとしたころからでした。
嫁がドアを開けても飛びかかってこなくなりました。
私が行ってもただ見ているだけでした。
話しかけても返答が無く、反省をしているのだと判断し、ご褒美に本を一冊、置いてきました。
壁に線が刻まれておりましたが、日数でも数えていたのでしょう。
嫁がトイレに行った時に適当に増やしておきました。
窓のフィルムも追加で貼っておきました。
布団が干せないので、次に来るときは新しい布団を持ってきてあげようとも思いました。
それから3~4週間過ぎたころ、また線が増えておりましたので、私も増やしてあげました。
先が増えていることに気が付いているのかいないのか良く判りませんし、何をカウントしているのかも聞きませんでしたけど。
ただ、この辺りから嫁があまりご飯を食べなくなってきてはいました。
倒れてはしょうがないので、好物のマグロなどを多めに冷蔵庫に入れておきました。
嫁がひとり暮らしをして10カ月が過ぎ、夏を迎えました。
やせ細って食品の裏の成分などをブツブツと読み上げるだけとなっておりました。
ただ、最低限の食事は取っているようで、私はもう少し反省させて終わりにするかなとも考え始めたころでした。
ご褒美に携帯電話を一台、置いていきました。
翌週は久しぶりにとびかかられました。
あれだけ痩せているのに、どこにそんな力が有るのかとも思うほどでした。
多分、怒りの源ですが、携帯かと思います。
私が昔使っていたガラケーなのですが、暗証番号も変えてありましたし、通話は料金を払ってないので何も出来ません。
アプリも何もかも削除してありましたので、ただの電源が入るだけの機械です。
その携帯は見事に折られておりました。
また、髪の毛が散乱し、嫁の頭は無残な形となっておりました。
多分、暗証番号を一から順に入力していったのでしょう。
ご丁寧に充電器も置いて行ったのですが、何故私がそうしたのかまでは思考できなかったようです。
で、暗証番号を解き、いざ通話をと思ったら、通話できない事に初めて気が付いたのでしょう。
それが怒りの原動となったと推測いたしております。
その二週間後でしたが、ついに嫁が食事をとらなくなりました。
今までは一日に一回は取っていたのですが、二日か三日に一回となって参りました。
私もそろそろかなと思い、渡りを付けておりました病院へ妻を連れて行きました。
久しぶりの外出でしたが嫁は何の反応も無く、ただ車に揺られているだけでした。
病院に付き、先生に話を致しましたところ、直ぐに処置入院となりました。
まずは三か月との話となりました。
病院は自宅からも近くなりましたので、私の負担も軽減されました。
三か月後、病院から病状の説明を受けましたが、未だ自発的に食事をとらず、点滴で過ごしていること。
会話が一切なく、思考もしているのかどうかすら判らない。
動かずにただいるだけ、と。
やっと私の処罰が実った事を、この時点で確信できました。
私は泣きながら、このまま処置入院をお願いし、嫁が壊れた悲惨な旦那を演じました。
先生には慰められましたが、私の顔を見られるのが嫌でずっと俯いておりました事、まだ鮮明に覚えております。
私はこの時点で会社を退職し、住居を替え、リゾートマンションを処分しました。
また、嫁親には嫁が拒食症となり入院したこと、面会謝絶の状態な事のみ伝えました。
実際には、普通の病院に入院しているわけではないのですが。
電話も新しい番号にし、誰ひとり、私にも嫁にも連絡が取れなくなりました。
やっと私の処罰が終わった事を実感しましたが、私はまだ嫁を好きです。
あの当時も、今も。
このまま、檻の向こうとこちらでしか会えない関係となってしまいましたが、 一生を添い遂げようと思っております。
ここにご報告と御礼を申し上げます。
乱筆乱文、失礼いたしました。
誰だよ、お前w
>>288
失礼いたしました。
こちらへのご報告は初めてとなります。
テンプレを見ておりませんでした。
・相談者の年齢職業
36 現在無職
・嫁の年齢職業
32 現在無職・入院中
・婚姻期間
2年4か月
・子供の人数、年齢
0人
・わかってるなら間男の年齢職業
年齢不明 就業不可(当時中堅商社営業職)
・過去の不倫の有無(夫婦共に)
無しかと思います
・現時点で決別か再構築か方針は決まってるか
再構築済み
・その他、経緯と状況説明
>>277~>>285
バイクなんか絶対こけるわwww
当方には嘘みたいに衝撃なかった。
完走乙でした
当初の計画通り嫁の処罰が済んでよかったな
あとは心置きなく、嫁との余生を過ごしてくれ
最近のコメント