好きです、と告白された。
思い出補正があったのだろう。
もちろんやんわりと断った。
25も離れたオッサンを好きになるなんてどうかしてる。
その後ちょくちょく会いにくるようになり、毎回告白された。
もちろん毎回断った。
彼女の大学進学が決まったときに黙って引越したが、どうやって調べたのか引越し先に泣いて凸られた。
それから色々あって、元放置子は根負けした私の押しかけ女房となった。
難産で娘を産んですぐ「あと2人は欲しい」とニッコリ笑って言われたが、押し切られないよう最善を尽くしたい。
多分勝てないだろうが。
つい先日、娘が二足歩行をし始めた記念に。
25歳離れているって男もやっぱり勇気要るよな。
俺だと娘と同じ年齢差だorz
一般的に云えば二人で一緒に居られる時間が短いだろうから
その分二人で濃い人生を送って欲しい。
結婚したのはそれぞれ何歳の時か
>>250
36と11。
最初に会ったときは小3くらいかと思った。
ガリガリで薄汚れていたし、口調も幼かった。
さて自分語りで恐縮だが、私は以前に最愛の人を事故で亡くしており、希タヒ念慮を拗らせた重度のメンヘラだ。
嫁は長期に亘る観察で↑↑↑を掴んだらしい。
引越し先凸のときには「生きててよかった」と言われた。
で、そのときから体の関係を求め始めた。
ピチピチのJDに迫られて悪い気はしなかったが、自制心が勝った。
実父より年上だし、どう頑張ったって自分は先にタヒぬし、何より不遇な幼少期を過ごしてきた彼女には誰よりも幸せになってもらいたかった。
彼女実家にも↑↑↑を踏まえて相談し、説得もしてくれたのだが、頑として折れなかった。
私も折れなかった。
……前置きが長くてスマン。
ここまで拗れると最早どちらが折れるかの精神的闘争だった。負けたが。
敗因はインフルエンザ。
5日寝込んだ私を泊り込みで甲斐甲斐しく世話し、気力の衰えた私が感謝を述べると「良くなったらご褒美をください。約束ですよ?」
ニッコリ笑って言った。勝てないと思った。心の折れた瞬間だった。
快復してすぐの連休を利用して、喜色満面の彼女が食料持参で泊まりに来た。
3日間外出せずに搾り取られた。
こんな感じですよ。今でもそうですが、嫁はおねだりをするときニッコリ笑って敬語を使います。
傍から見ればチャーミングな笑顔なんですが、私は絶対強者に対する畏怖を覚えます。
ご質問等あればなんなりと。
ありがとう。貴方にも、幸あれ。
タミフル出る前は普通に一週間くらい寝込んでたぞ?
初期風邪だと思って2日くらい病院行かないと5日は当たり前
当時タミフル出てたと思いますが、極度の医者嫌いで病院には行ってませんでした。
2日寝込んで3日目に彼女に発見され、それから更に5日ですね。
正味1週間寝込んでます。
子供授かっても構わない考えだったのかな?
>>263
子供が欲しいと言われた際、その話はしました。
正しい意味での確信犯でした。
私を自分と常世に縛るため、私を喪った時の代替として、とはっきり言いました。
加えて、愛情を注ぐための家族が欲しい、とも。
物心付く前に一家離散、果てはネグレクトですからね。
付け足しとは言え、納得せざるを得ませんでした。
お蔭様で事故・疾病を含む自然タヒ以外はできなくなりました。
もうおわかりかと存じますが、彼女も大層なメンヘラです。
いまだに判り兼ねるのは「何故私なのか?」という1点です。
呪い頂きました。
曾孫と遊べそうですねぇ。健康を保つよう頑張ります。
自分は小学校の時バレンタインに幼稚園児だった嫁が
小学校にチョコ持ってきたのもからかわれて大変だったのに尊敬するわ
付き合い始めたときは46と21でしたからね。皆からかうどころか青ざめていました。
犯罪者扱いでしたよ。無理もないですね。
逆に6年間に亘る嫁との闘いで疲弊した、2歳年下の義父には礼を言われました。
嫁には事あるごとに親孝行をしろ、と言ってあります。
最近のコメント