実は私の実家、高校生の時に母方の祖母を引き取って同居介護が始まって結構な修羅場を見てきたのね。
私の母は元々片足が不自由だったから私や弟が手伝ってて
祖母は気が短い人で、思い通りに私たちが動かないとすぐ癇癪を起し
自分が自由に動けない苛立ちを母にぶつける人だったの。
父は仕事を理由に徐々に帰ってくる時間が遅くなって、そして家の中で寛げない苛立ちを、これも母にぶつける人だった。
子供心に、一人娘を嫁にしたのだからそういう態度はどうなの?って不満で不満で父の事は徐々に嫌いになっていった。
母の血の繋がった母親の介護ですらあんなに精神的に疲弊するようなものだったから、血の繋がらない姑と嫁と言う立場なら、不安しかなかったの。
義母は同市内で一人暮らししてて、関係が悪かったわけではなく寧ろ良かったのだけど、夫の弟も妹も遠方に住んでいた関係から我が家に引き取るか、義実家に引っ越して同居するか、とにかくうちがお世話するしかない状況。
要介護2しか貰えなかったから特養なんてとても無理。
有料ホームに入る余裕もない。
仕方なく義実家で同居をスタートさせた。
でも同居介護していた5年間は想像していたものとは全く違った生活だった。
義母は車椅子ではあったけど聡明で話題も豊富で友達も多かった。
義母との会話は楽しかったし、動かないと惚けちゃう!って言って、自分でできることは自分でやってくれた。
とにかく嫁に負担かけないことを第一に考える人だったから、その気持ちが嬉しくて、こちらも一生懸命お世話したいと思えるような人だった。
夫は夫で、俺の母親なのに世話掛けてごめんって、もういいからってぐらい言ってくれる。
休みの日は休みたいだろうに、家事も介護も一生懸命やってて父とは全然違った。
私の腰に根性がないばっかりに老健に行くことになったときは、最初は嫌だったはずなのに、悲しくて申し訳なくて落ち込んだぐらい。
だから老健にはできる限り顔を出して話し相手になっていた。
嫌な介護と楽しい介護の両方を経験してみて、結局はする側とされる側の相性が大きいのかなとか、どちらも素直じゃないとダメなんだなって思った。
私もいつか誰かのお世話になる日がくるんだろうけど、せめてお世話になる人が苦痛を感じるようなおばあちゃんにだけはなるまいと思った。
その為にも惚けたくないなー。
お疲れ様。
素敵なトメさんだなぁ。
タイトル「最期の5年間」
最期が長すぎる!
お互いに相手に対する思いやりや遠慮があればもう少し楽になるよねって話、ただ認知症や精神疾患の介護が地獄なのは変わりないんだよなー
車椅子になった人間ってひん曲がりきっちゃう事多いからな
外面は良くても家族には当たったりするし
体が弱くなっても他人に気を遣えたトメさんは素晴らしい人間だったんだね