- 娘が結婚する事になった。娘『式挙げるけどお父さんは縁起悪いから招待できない、ごめんね』俺「うん。そりゃそうだ。そうだよな」 → しかし・・・・・
- 嫁が不在の間、風呂に入ってた16歳の娘に思わず手を出してしまった。娘(大暴れ)俺(未遂かぁ・・) → 娘「警察には言わないで」嫁『離婚』 → 俺「離婚?いやだ!」
- 朝起きたら義実家全員がすごい形相で睨んで俺を待ってた。義家族「ウワキしやがって」俺『え?』「証拠ある」 → 興信所「警察ではダメ。今すぐ弁護士に」俺『!?』結果・・・
- 帰宅すると部屋がもぬけの殻になっていた。嫁『娘は義父と養子縁組するので養育費はいらない』俺「離婚したくない(号泣」両親「離婚して他の女を探せ」 → 俺「おk」数年後・・・
- 買ったドーナツの袋とレシートをBBAに奪われた。私『返して!』BBA「これは私の」別のBBA2人組「さっさと謝れ」 → 店員「あなた(私)が購入した覚えはない」私『え』
- 新居に荷物を運んで様子を見に行くと、コウトとコトメが友人を多数連れ込んで行為三昧 → 私『通報する』夫「やりすぎ」 → 加害者全員に賠償を請求すると・・・
- 顔面ボコボコで血だらけのトメ「嫁子に暴行された」夫『警察呼ぶ、裁判もするからな』私「え?」 → 近所「自分で転んだみたいだよ」夫「!?」私「離婚ね」 → 結果・・・・
- 娘「ケーキもパパも要らない」誕生日ケーキとプレゼントがごみ箱に捨てられてた → 数ヶ月後、俺『妻と娘は最初からいなかった事にする』妻&娘「!?」 → 緑の紙は既に提出済み
- 嫁『間男が数百万やるって言うから離婚して。ちなみに娘は托卵だよ』夫「了解」間男(意外とあっさりだな・・)離婚後、近所「け、警察ー!!」元嫁の所に警察が → なんと・・・
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- お兄ちゃんと買い物してたら友達と会った → 友「彼氏さん?」私 「ちがう、お兄ちゃん」友「!?」兄と腕組んで歩いてただけなのにスゴい引かれた。神経わからんよね。
私(JK3・ゆとり)の左アゴにしこりができた。私「なにこれwwコリコリするwww」まぁ念のため病院に… → 医者「高悪性度の腫瘍です」私・母「!?」医者「このまま放置したら確実に亡くなります。すぐに治療しましょう」
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1330185134/
思うままに書きたまへ
自分語りがはーじまーるよー
スペック(当時)
高3女
スイーツ(笑)脳。
あくまで当時。
全ての始まりは、高三の春、左顎の下部にしこりができたことだった。
できものは直径3cmくらいで、触っても痛みはなく、ただ存在するという感じ。
ゆとりな私はしこりのコリコリ感を楽しんでいたwwww
大事だとは思っておらず、母に相談し、昔から診てもらってる町の先生のところに行った。
町医者のところでは、検査設備も整っていなかったこともあり
1週間後くらいに隣市の病院に行くことになった。
付き添いの父がデュフフしており、きれいな女医さんって本当にいるんだなぁと思ったwww
「とりあえず、色々な可能性が考えられるが、腫瘍も大きいし、最終的には切ってみないとわからない」
と言われたので、一週間後に手術となった。
人生初の手術は全身麻酔で、あっという間に終わった。
その後2日ほど入院し、傷口の状態を確認して、とりあえず一時的に退院した。
「腫瘍は検査に出して、結果が出たら電話します、また来てください」と言われた。
このころには、季節は秋になっていた。
J( ‘ー`)し「なんか別の科でまた診察を受けないといけないんだってー」
私「あっそうー」
その週、学校を休み、午前中にT先生のところへ。
「今回の腫瘍は、悪性腫瘍とのことでした。血液内科の先生がいますから、治療はそちらになります」
当時は悪性腫瘍がなんなのかもわからなかったゆとりだが、なんとなくいやな予感がした。
そうそうwwww普通の人ならそう思えるんだが
マジで何のことやらという感じだった。
血液内科って何wwwwかっこいい名前www来週学校行ったら友達に自慢するばいwwww
くらいの余裕はあった。
血液内科の先生は夕方になるとのことなので、その間、ご飯を食べたり、なんだろうねー?と言い合ったりしながら
17時くらいに待合室に行った。
が、いつまで経っても呼ばれない。
19時くらいになっても呼ばれないので、さすがに飽きてまた来ればいいだろうと思ったので、看護師さんに「日を改めても良いですか?」と聞いたところ、「先生に確認します」と言われた。
戻ってきた看護師さんから、
「すみませんが、もう少々お待ちいただきたいとのことです」
と言われたときにもまだ、「ちっめんどくさいなー 明日休みだからいいかーwww三連休おいしいですwww」くらいに思う察しの悪いアホゆとりだった。
その先生は、父と同い年くらいで眉毛が異様に長かったので、眉毛先生としよう。
眉毛「耳鼻科で結果は説明を受けてますか?」
私「えっと悪性腫瘍ということは聞いています」
眉毛「正確に言うと、その中でも高悪性度のものになります」
私 「はぁ・・・・」
J( ‘ー`)し 「入院は、必要なんでしょうか」
眉毛「若いから進行も速いでしょう。すぐにでも入院してください。半年くらいになります」
半年って・・・・
高校卒業できるのか?まずは来月の遠足・・・もう遠足に行く服買ったのに・・・
お正月はかまぼこ食べまくる自分的イベントが・・・クリスマスはケンタのチキン・・・
受験はどうなるんだろう・・・
まさか、全部無理だったりして(笑)
いやいや(笑)
2秒くらいで↑のようなことを考えていた。
遊ぶことと食うことしか考えてないというのがおわかりいただけるだろう。
眉毛先生はとても良い人だった。
動転する母と私を相手に、改めて病気のことや、治療方法の説明をしてくれた。
ほとんど覚えていないのだがw
それだけはっきり覚えてるので書かせてください。
眉毛「僕は患者さんには楽観的な言い方はしないようにしています。このまま放置したら確実に亡くなります。
これが80歳の方だったら、辛い治療はせず、残りの時間を楽しく生きるような方針にするでしょう。
でもあなたは、まだ17歳なんです。これから何十年も生きなきゃならないんです。」
そして、土日明けの月曜日からの入院が決まった。
診察室を出るとき、母が先生に「お願いします。お願いします。助けてください。」といいながら泣いていて、それが何よりも辛かった。
よくわからない責任感で私が泣けなかったwwww
話していると電話口で友達のほうが泣いてしまうので、途中から友達への連絡はメールにしたw
こんな状況なのに、泣いてくれる友達がいて、自分は幸せだと思った。
どうでもいいけど、母が動転して事故とか起こさないかすごく心配だったw
私が幼稚園のころの話だが、味噌汁にシャンプー混入してしまったり、結構どじっこなところがあるからww
病気のことを話さなければならない相手がいた。
一人は、ピアノの先生。
もう一人は、幼馴染のT。
Tとは、ひとつ年下で、ピアノがめちゃくちゃうまい男の子だった。
家はちょっと離れてるけど、ちょいちょい遊んだりする不思議な関係。
こいつとは後に色々あるんだけど、それはまた別の話w
私「T、ちょっといい?」
T「何?」
「私、ぶっちゃけ、癌になった。入院する。」
「え!?癌!?」
「ちょっ何気に声大きいwww」
「ごめん。でもどういうこと?」
病気の説明を色々として、半年くらい入院になることと、できたらお見舞いに来てwとお願いした。
最初の一週間は、病気がどれくらい進行しているか、転移はあるか、などなどの検査をする。
その後は、クリーンルームへ移動し、抗がん剤治療をする。とのことであった。
クリーンルームに行ったら家族以外の面会はNGと言われた。
この時点で心が折れそうになり、友人にメールした。
私「なんか今週しか会えないみたい」
友達「マジで?ちょっと今あんたのことで会議してる」
私「会議って何?」
友達「いいから。金曜日までは会えるのね?」
いつも5人くらいのグループで遊んでたので、
みんなでお見舞いの計画でも立ててくれてるのかな?とwktkしている自分がいた。
先生に早退許可をもらったらしい。
お勉強はあまりできない子だったけど、高校は本当に楽しかったから久々に会えてうれしかった。
その手には千羽鶴があった。
私「えっwwwちょwww」
友達1「クラス全員で折ったからwww」
私「受験の大事な時期にwww」
友達2「ちなみに他のクラスの友達も折ってたからwww」
友達3「折り紙の裏に応援メッセージとか書いてあるから!強力な念がこもってるよ」
なんていうかもうね・・・
感涙した。
私が通ってた高校は、90%以上が大学に進学する中の上くらいの進学校で、秋口なんて本当に大事な時期なのに、授業そっちのけで折ってくれたことが、ありがたくて申し訳なかった。
折ってくれた人の中には、普段あまり話さない男子や、ぶっちゃけ私は嫌われてるんじゃないか?って思っている女子もいて、よかった・・・千羽鶴折ってもらえる程度には嫌われてないんだ、とか変な安心をしたりもしていた。
ちなみに、このことを母に話したら、複雑ながらも喜んでくれていたようだ。
中学のころ、1年間んくらい軽いいじめにあっていたことがあり、高校では友達ができたことを喜んでくれてたのかもしれないw
それはそれで複雑wwww
毎日超乙です!
病院で働いてる人には、今でも超感謝してます。
今はやはり病弱な子ですが気持ちは超元気です!
サーセン書きためがここまでです!
上にも書いたとおり、今は普通に元気に暮らしてる。
一般的に、若くして癌=人生終了ていうイメージがあるだろ?
自分も入院中、某芸能人の方の訃報が流れたり、インターネットで亡くなっちゃった方の闘病記とか読んで、それだけで自分ももしかして・・・と思っていた時があったんだ。
だから自分が治ったという話を書いて、今闘病している人やその家族がいたら、自分なりに勇気付けられたらなーと思ったんだがやっぱおこがましいなorz
もし需要あったら、また書きためてからこようかなと思うんだけど、どうでしょうか。
バーキットリンパ腫 です
一週間ほどの検査を経て、
・転移はない
・つまりステージ1。(ステージ1~4だか5だかまであって、数字が高いほどやばめ)
・来週からゴリゴリ抗がん剤を入れる。
・この病気は再発するとしないとでは天国と地獄ほど違う。耐えれ
こういうことになった。
ちなみに髪の毛は、エクステ()をつけていて、せっかくバイト代で美容院行ったのに超もったいなかったが闘病するためにばっさり切ることにした。
バリカンを使ったのは後にも先にもあのときだけだ。
あと、胃カメラはもう二度と飲みたくない。ゴボゴボ!ってなった。ゴボゴボ!って。
抗がん剤はさぞ辛かったことだろう。
ちなみに腕からじゃなくて、じょうみゃく?どうみゃく?の太い血管から薬を入れるために
鎖骨の下辺りへ点滴の管を刺してたんだが、それらを固定するために肌に直接糸で縫いつけたんだが
あれがすごく痛かった・・・
副作用で、よく吐き気とか言われてるが、自分は吐瀉物の匂いが苦手なので出ないように祈ってた。
以下、お食事中の人は注意。
抗がん剤を入れ始めて30分ほどした後から、一気に気持ち悪くなった。
そのとき、当時好きだった人と電話でしゃべってたんだが
しゃべってる途中で吐きそうになり、しかしスイーツ()だった自分は吐く事を悟られたくなかったので
「ごめん眠くなっちゃったから寝るね☆電話ありがとう☆」などと都合のいいことを言い、トイレにダッシュし思う存分吐いた。
夕食で食べたものが全部出ていた。
これは・・・と思ったが、嘔吐は1回では終わらなかった。
腕の血管だと抗がん剤が漏れた時にリスクがあるんだよね。
鎖骨下に中心静脈があるから抗がん剤治療の時はそこを利用する。
抗がん剤はメソトレキセートかな?
そうなのかー!教えてくれてありがとう。
確かに、逆流したり腕がパンパン?になってる人もいたようで大変そうだったなぁ。
抗がん剤の種類は覚えてないやwごめん。
なんか透明のやつと、パイナップルジュースっぽいやつだったと思う。
とにかく出るわ出るわwww30~1時間ごとに吐く。
寝ていても吐き気で起きる。
自分は本当に吐瀉物の匂いが苦手だ。
妹の嘔吐臭でもらい嘔吐スキルを発動するレベル。
本当に嫌だったが、洗面器に吐くと処理も大変だし、一時的に我慢しても結局吐いてしまうので催しそうになったらダッシュでトイレに行き、思う存分吐くスタイルを取ることにした。
個室ということもあり、トイレまでの距離が近いことも幸いしトイレダッシュスタイルが失敗したのは、闘病中1回だけという意味不明な自慢をしておきたいと思う。
病名は違うけど腫瘍ができた位置が似てて
勝手に感情移入中
そうなのか・・・
病気にかかってしまって本当に辛いと思う。
寝てるときに、自分は結局もたないんじゃないかな?ってネガティブになったりしない?
ネガティブになるね。
手術失敗したらどうしようとか、顔付近だから痕のこったらどうしようとか。
幸い1みたいに半年入院とかじゃないけど
やっぱり辛いものがあるね
しかし、次の副作用が始まった。
抗がん剤は、悪いがん細胞をたたくのはもちろん、良い細胞もたたいてしまうものらしい。
そのため、一時的に白血球が低下して、熱が出たり、感染症にかかりやすくなるらしい。
そのため、クリーンルームに隔離するとか。
(医学的なことはわからないのでこんな説明になってしまう。誰か間違ってたら訂正よろ!)
自分はこの高熱もなかなか辛かった。
とにかく40度台まで熱が上がる。
最高41度。
42度になると、たんぱく質が固まって脳が・・・とかいう話を聞いたことがあり
超gkbrしていた。
眉毛先生に、とにかく高熱がつらいことを訴えると
「解熱剤をあげましょう」
といわれ、解熱剤をもらった。
そうすると、30分くらいで熱が下がるのだが、数時間するとまた上がってしまう。
その繰り返し。
また、一日に使える解熱剤の数も決まっており、夜中に効果が切れてしまったときは一晩中うんうん言っていた。
それが5日間くらい続き、治療が始まった当初は楽勝wwwwwというテンションだった私の心は折れた。
17歳なのに学校にも行けず遠足も行けずバイトも遊びも行けずピアノも弾けず生ものも食べられず
こんなクリーンルームとかに閉じ込められてるアタシカワイソウ!!
という発想で、家から車で40分くらいかかる距離を2日に1回お見舞いに来てくれる母のことや、
仕事が終わってからお見舞いに来ておもしろい話をしてくれる父のこと、
病院から5分くらいのびっくりドンキーでバイトを始めてくれて、バイトの日はほぼ毎日来てくれる妹のこと、
相変わらず受験で大変なのに手紙をくれるクラスメイトのこと、
毎日外の世界のことを話してくれる友人のこと、
ほんとうに何も見えなくなっていた。
1週間くらい泣いた。
ティッシュをびりびりに破ってみたり、眉毛先生や看護師さんたちにわがままを言ったりなど、入院中の黒歴史である。
しかし黒歴史はあるときをきっかけに終わることになる。
>>8
で書いたクールビューティー先生が現れた。
後出しになってしまうが、
>>8
の手術前に少しだけ話したとき、クールビューティー先生は、自宅と同じ町内の、中規模な病院の院長先生の娘さんと聞いており、同じ町内に住んでいることを知っていたので、勝手に親近感を持っていたりしたw
「1ちゃん元気ないんだって?そろそろクリスマスだからクリスマスプレゼント持ってきたよ」
「1ちゃん眠れないことを気にしてるって聞いたよ。眠れないときは携帯電話でもいじったらどう?最近ゲームとかあるんでしょ?あっ本当は携帯電話NGだけどねww」
「1ちゃん、元気になってまた耳鼻科に遊びにきてよww」
そう言うクールビューティー先生の手には、サンタクロースのキーホルダー人形があった。
クリーンルームという狭い世界で鬱になってた自分を確実に変えてくれた、と思う。
これは私の推測だが、医師から患者に個人的にプレゼントを渡すというのは、若手のクールビューティー先生にとって本当は規則に反することだったのかもしれない。
けど、クールビューティー先生は全くそれを感じさせず、私に言葉をかけてくれた。
それが本当にうれしかった。
そこからは鬱モードになるのをやめ、絶対に生きる!絶対にクリーンルームから出る!という気分になった。
気持ち悪いくらいに変わった自分を見て、看護師さんは「1ちゃんいい子になったねw」と言ってくれた。
眠れなくて辛い日には、携帯で風来のシレンをやって暇をつぶした。
また、同じ病気の人から借りた漫画を読んだりしていた。
色々あったが、抗がん剤→吐く→高熱→副作用なくなる、という経過を経て、治療の1クール目が終わった。
抗がん剤→吐く→高熱とか色々→副作用なくなる(白血球復活)→また抗がん剤、というサイクルで、基本的に2週間に1クール(体調がなかなか復活しないときは3週間で1クールとか)行った。
自分は少しずつ治療に慣れ、妹の持ってきてくれたハリボーグミを無駄食いしてはトイレダッシュ嘔吐コンボを決め
「レインボーが出たよ!」とはしゃぎ
味の薄い入院食にえぐえぐ言ったり、たまに将来を悲観して泣いたりしながら過ごしていた。
まず、暇つぶしの漫画を貸してくれたお兄さんは33歳子持ち、奥さん妊娠中と聞いた。
「江戸前の旬」を全巻貸してくれたので、江戸前さんと呼ぼうw
江戸前さんは信用金庫勤めで、接待のゴルフ中に倒れたことで病気が発覚したとか。
私は、両親に守られて過ごしていたが、彼は奥さんや子供を守る側だった。
闘病は本当に大変だろうに、それを全く顔に出さない人だった。
「泣いて病気が治るんだったらいくらでも泣くけどさぁwwwそうじゃないじゃんwww
だから俺はグルメ雑誌とか見て過ごすわけww退院したときにいっぱい食えるようにな!!!」と言っていた。
そんな明るい江戸前さんが私は仲間として好きだったし、元金融業界にいた父ともよく話していたようだ。
私と違ってクリーンルームには入らなかったので、途中からあまり話せなくなってしまったが、私の誕生日には看護師さん経由でお菓子をくれたりした。
江戸前さんの明るさに救われていた部分も多々あった。
当時24歳くらいのやんちゃそうな感じで、同じくクリーンルームに入っていた。
クリーンルームに、共有の電子レンジがあり色々と食べていたのだが、お前食うの速いなwwとかからかわれたりしていた。
同じ病名ということもあり、会えば話をしていた。
病室のテレビは基本的に有料(テレビカードを買う)のだが、お兄さんはPCを持ってきて、PCでテレビを見てるから料金はかからないと自慢された。
自分のPCを持っていなかった自分は、ちょっと悔しかった。
まぁ、江戸前さんもテレビお兄さんもいなくなっちゃうんだけどね。
えっ
江戸前さんかっこいいと思ったら(´ω`)
あっという間に年末になり、いつもは紅白を見ながらみんなで年越しすき焼きを食べるのにこの年は病室で一人寂しく過ごした。
元日には両親と妹がやってきて、あけましてー、とかさっさと退院できるといいねー、とか言いながら過ごした。
そして、1月の2週目から治療の最終クールを行うことになった。
とりあえず、このクールが終わったらもう一回最初にやったような検査をして、体内がどうなってるか改めて調べるらしい。
ちなみに、1クールごとに脊髄に注射(マルクというらしい)をして、脊髄にがん細胞がどれくらいいるのか?というのを治療の目安にしていたようだが、3クール目くらいから、脊髄にはほぼがん細胞はいなくなっており、自分はいけるんじゃないかと思っていた。
しかし懸念していることが一点だけあった。
しかし、5クール目くらいに、大きいしこりがあったごく近くに、小指の先くらいの小さなしこりがあることがわかったのである。
その小さなしこりが今回の病気によるもので、最終クールの治療を行ってもなくならないようであれば、また別の治療を考えなければならない。
眉毛先生は、「やはり耳鼻科で手術しないとなんともいえないが、位置の関係上、今回の病気によるものの可能性が高い。とりあえず最終クールの治療を行い、その後調べる」
と言っていた。
副作用コンボには慣れたし、病院にも馴染んではいたが、やっぱり外の世界で暮らしたいし、入院長期化は嫌だった。
そして最終クールの治療が終わったが、小さいしこりはなくならなかった。
冗談じゃなく、テンション的には「ダメかも・・・」くらい、お先真っ暗状態だった。
家族全員が集められ、CTスキャンの画像を見ながら眉毛先生による説明が行われた。
眉毛「えー、治療が全て終わり、血液検査やマルクの結果もよく、1さんもご家族も良くがんばりました。とりあえず退院はしておkです。」
1&家族「え?いいんですか?」
眉毛「しかし、ここにやはり小さいしこりが残っていますね」
眉毛「これの正体がわからないと、寛解(血液の病気で言う完治みたいなもの)とはいえないでしょう。別の日に再度手術をして、調べてみましょう」
というわけで、別の日に手術を行った。
執刀はクールビューティー先生で、再手術にもかかわらずうれしかったのは秘密。
左顎の下という位置にもかかわらず、なぜか結構喋れたのだが
麻酔がちょいちょい効いていないのか
「すいません、いたいれす」
「あー!むりむり!今きってるでしょ?おえええ」とか言って、先生も看護師さんも苦笑していたw
うるさい患者である。
クールビューティー先生「1ちゃーん、しこり取れたよー」
1「どんなれすか?あくにんヅラしてる?」
「お母さんには見せておくけど、1ちゃんは安静ねー、ちなみに最初よりは悪人ヅラしてないよ」
「ありがとうございまふ」
この手術の結果はやはり2週間くらいかかるらしく、電話がかかってくるまで家で待機していた。
ちなみに、生きた心地は全くしなかった。
クールビューティー先生「1ちゃん、今回はね」
1「(どきどき)はい」
「悪性じゃなかったよ」
1、J( ‘ー`)し「おお!」
「詳しいことはまた眉毛先生から解説があるから、そっちでね(ニコッ」
いそいそと血液内科の病棟へ
眉毛「おめでとうございます、と言ってはなんですが、この腫瘍は悪性ではなく耳下腺が石灰化したうんぬんかんぬん(以下ry
つまり悪性腫瘍ではありませんでした。本当によかったですね。」
1、J( ‘ー`)し「先生ありがとうございます、本当にありがとうございます」
眉毛「というわけで取り急ぎ寛解ということになりました。こういう病気は、寛解後5年再発しなかったら完治、という目安があります。
次回は1ヵ月後、その後の最初の1年間は3ヶ月ごと、2年目は4ヶ月ごと、3年目からは半年毎にきて下さい。」
がん細胞には悪いがボッコボコにさせていただいた。
いやボッコボコにしたのは私じゃなく眉毛先生だけれども。
通院は面倒だが、まだ入院してる江戸前さんやテレビお兄さんの顔も見れるからまぁいいか、と思っていた。
とにかく私は病気に勝った。
それが本当にうれしかった。
眉毛先生の言うとおり、最初は1ヶ月後に病院に行った。
再発なし。無罪放免である。
忙しい先生には悪いが、どうしても聞きたいことがあった。
1「眉毛先生、あの、テレビお兄さんって眉毛先生が担当ですよね?元気にしてますか?」
眉毛「あー、あの人はね」
眉毛「亡くなったの」
私ポカーン。
嘘だ。
同じ病気で、同じように先生の治療を受けて同じように過ごしていたのに、同じ食べ物を食べていたのに
嘘だ。絶対に嘘だと思った。
そのまま入院病棟に行った。
顔なじみの看護師さんに挨拶とお礼をしつつ、さりげなくテレビお兄さんのことを聞いてみる。
小声で、亡くなったの、と言われた。
他の患者さんもおり、小声の会話になったが「お線香を上げたい」ということを伝え、ご家族の方に連絡してもらえるように頼んだ。
母が出て、取り次いでくれた。
1「あ、あの」
テレビ母「ごめんね、あの子亡くなったの」
1「お辛いときに、申し訳ありません。入院中は大変お世話になりました。お線香を上げさせていただけないでしょうか」
テレビ母は、ご自分も辛いときだろうに快く応じてくれて、ご住所を教えて頂いた。
その次の土曜日に約束をして、電話を切った。
テレビさん宅には、父が連れて行ってくれることとなった。
テレビ母「あなたが退院した後、うちの子はちょっと悪くなっちゃってね・・・
眉毛先生に治療してもらったんだけど駄目で。最後に眉毛先生の判断で外泊させてくれたの。
でも、その時にはもう足腰が弱っていて。自分の部屋には行けなかったわ。
それでも好きなテレビを見たり、笑って過ごしていたの」
「外泊が終わって、病院のベッドに戻った後、しばらくは話が出来たんだけど」
「突然”うっ”て言って、気を失っちゃってね、そのまま」
テレビお兄さんにお線香をあげて、その日は帰宅した。
同じ病名がつき、同じ先生に治療を受け、自分だけが助かった。
自分が現れることでテレビ母に辛い想いをさせてしまったのではないか、もっと考えてから行けばよかった、無神経だったと反省した。
の一行目おかしいなごめん。
続き書きます
それから自分は、徐々に回復していった。
高校にはいけなかったが、先生たちのお情けで課題だけで卒業させてもらった。
ちなみに、みんなの卒業式は3月1日だったが
自分だけ、3月の半ばに特別に卒業式をやってもらった。
普段は入れない校長室に、クラスのほぼみんなが集まってくれて、何かスピーチを、と言われた。
「私は病気にかかってしまったけど、クラスのみんなが千羽鶴や手紙をくれた。
無事こうやって卒業できたのはみんなが励ましてくれたおかげもあると思う。
お世話になった人たちに恥の無い人生を生きたい」
みたいなことを言ったと思う。
ちなみに、お父さんからも一言・・・と担任の先生に言われ
普段は絶対に泣かない父が号泣していた。
私の入院中、父は気丈に振舞ってくれていたが、やはり辛かったのだろうか。
母はいうまでも無く、卒業式の最初から号泣していたw
夏ぐらいには、普通に動き回れるくらい回復していた。
私は社会復帰の一環として、父が働いている会社での事務仕事のバイトを紹介してくれた。
外出時にヅラが蒸れて暑かったことをなんとなく覚えているw
そして、蒸れたヅラと共に、江戸前お兄さんのお見舞いに行った。
しかし、看護師さんに退院したといわれた。
テレビお兄さんと違って、江戸前お兄さんとはメールアドレスを交換していたので
「退院したって聞きました!おめでとー!」とメールしたがなぜかメーラーデーモンさんからお返事がきた(※メールが届かなかった)。
え、ちょ、と思った。
お互い退院したら、江戸前さんの奥さんやうちの両親も含めてみんなで旨いと評判のラーメン屋にいくと約束していたはずなのに、忘れ去られていたのかもしれないと思うと悲しい気持ちになった。
そして、バイト中に実家に掛かってきた一本の電話で、真実を知ることになる。
バイトから帰ると、母が泣き笑いみたいな顔をしていた。
J( ‘ー`)し「1・・・落ち着いて聞いてね」
1「え?どしたの?」
J( ‘ー`)し「江戸前さん、亡くなったんだって」
1「まったまたーwwwww」
J( ‘ー`)し「いや、ほんとに。」
「1がバイト行った後に、江戸前さんの奥さんから電話をもらってね。
最近亡くなったって。
電話だから、詳しいお話は聞けなかったんだけど、電話の後ろで、お子さん二人の遊んでる声がして
それでお母さん悲しくなっちゃって・・・住所とか聞けなかったの」
1「・・・」
J( ‘ー`)し「1ちゃん、江戸前さんから漫画借りてたでしょ。」
確かに、江戸前の旬は返したが、そのとき発売されたばっかりだった
「クロス・ゲーム」の一巻を借りていた。
J( ‘ー`)し「奥さんね、そのことを知ってて。
それは形見として持っていてください、そしてそういう人がいたことをたまに思い出してあげてくださいって言われたのよ。」
その後は、父が「江戸前さんの分も生きような」とか言ってた気がするが
あまり覚えていない。
それから、テレビお兄さんと江戸前さんのことを引きずりながら私は進学、就職をした。
時折、命を失うことへの恐怖が襲ってくることはあるけれど、それを乗り越えながら、この前やっと寛解から5年が経ち、幸いにも再発は無く、完治と呼べる状態になった。
実家は東北の山奥だが、今は東京近辺で一人暮らしをしながら、会社に行っている。
だけど、逝ってしまった人もいる。
何が運命を分けるのか、あれからずっと考えているけれど未だにわかっていない。
江戸前さんにはまだ、お線香を上げられていない。
仕事でめちゃくちゃ怒られたときはかなり凹むが
それでも、あのクリーンルームでの経験に比べたらまだましだよなぁって、また会社に行く気力が沸いてくる。
生きていると色々あるけれど、私はこれからも生きていきていきたいと思う。
マンガを大切にして、江戸前さんを時々
思い出すことでいいんじゃない?
ありがとう。漫画は今でもちゃんと持っているよ。
無理なのはわかってるけどもう一回会いたいなぁ。
今は幸せだよ、自分が普通に働けてることで両親がかなり嬉しそうにしてくれてることもあるかな。
妹も就職が決まったしね。
神様はいないと思うなぁ。
いたとしたら、私な不道徳なやつよりも二人のお兄さんを助けてくれたと思う。
もしいたとしたら相当文句言う自信はある。
あ、眉毛先生は神様だと思っているけどww
あごの傷は気になるの?
自分は断然ラーメン派、油少な目麺固めメンマトッピングで頼む
あごの傷は今でもうっすら残ってるけど
あごを引いちゃえば見えないからあまり気にならないよ。
俺は油少なめ麺固めで煮玉子トッピングが好きだw
傷が目立たなくてよかったね。
クールビューティーせんせ腕いいんだな。
とりあえず良かったね。
年が近そうなので感情移入してしまいました。
体を大切にね。
構ってちゃんとかたたかれると思ったが、ヌクモリティを貰えて本当に嬉したったんだぜ。
こんな時間までお付き合いいただき、レスを頂きありがとうございました。
あっ。
しんみりさせちゃったところ悪いけど、どうしてもはっきり言いたかったことがあった。
1は刺身とか生クリームとかすき焼きの生卵とかいわゆる生ものが大好きなんだが、入院中は感染源になるかもしれないということでそれらを一口たりとも食べられなくて辛かった。
クリスマスケーキや誕生日ケーキは妹に全て奪われたからな。
けど今はwww社会人になったので自分のお給料で生もの食べ放題ですwwww
マイブームはえんがわですwwwwえんがわえんがわwwww
それだけは言わせていただくwww
ではでは!本当にありがとうございましたー!ノシ
良い夢見ろよ(-_-)zz
幸多からんことを祈ってるよ。
>>1
ちゃんには幸せになって欲しいよ
乙
頑張ってな
感動した!!!!
- 俺「うわ…母ちゃんウワキしているやん。よっしゃ!証拠を父ちゃんに見せたろ!」 → 想定外な事態になってもうた…
- 妻「子供ができない原因はあなたにある。だから別れて」俺「何でわかるんだよ!」妻「検査で私には問題がなかった」俺「!?」そして結局離婚 → 数年後、元妻とばったり再会するが..
- 明るくて人気者で美人な同僚「遊びのつもりだったけどねw元旦那には不満とかなかったしバレないと思ってた。でもやっぱり悪いことはしちゃダメねw」 → しかし後日、なんと彼女の元旦那が私を…
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>>20時を回りさすがにおなかがすいてきたころ、診察室に呼ばれた。
これこの病院で一番の名医(専門医)に回されたんだな
腕がいい先生は下手すりゃ1年先の予約まで埋まってる状態だから
午前中は病棟勤務で午後の外来は診療が終わる17時以降も普通に患者さんが待ってる
おそらく眉毛先生の通常の外来診察時間の後にビューティ先生がねじ込んだんだろう
このパターンは「1の兄です、残念ながら1は…」みたいなのが流行ってたな
悪性腫瘍もいろいろだが、こいつは「薬が合わなかったら覚悟してください」の奴か
神がどんな基準でその人の人生の難易度を決めてるのか知らんが、その時間には必ず意味があると信じることにしてる。
神が決めた意味なんてものはなくても、自分がその時間を過ごしたことは自分にとって意味があるとね。
腫瘍はリンパ節経由で飛んでなければね・・・・
20年ほど前入院した時も喉にでっかい腫瘍出来てた人入院してたけど、手術とその後のケアがすごーく大変で、今でいうガンマナイフ使用時に首と頭を固定する金属の固定具を装着したまま1ヶ月とかかなり見ててもきつかったですよ
まあその人生きて退院していきましたけど
人間、42度超えても案外大丈夫なもんですよ
オラも42度超は今までに2度あるけど、生まれて初めて42度超体験した時は42度で済まず
水銀体温計の42度ラインを大きく超え、体温計の天辺まで行ったからね
推定体温44度超
風邪だと思って微熱だったので学校行ったら正午前から急に悪寒発生で保健室へ
保健室で熱測ったら39.7度で親呼び出しそのまま車で病院直行
病院で当事はまだ珍しかった電子体温計でHマークが付き看護婦があわてだす
医者が来て体温を正確に確認する為に水銀体温計をと挟んだところどんどん上がる水銀
結局あっという間に42度ラインを大きく超え天辺まで行ってしまう
あわてる医者、そのまま熱射病の時と同じ方法での解熱作業に入る(腋や首など太い血管がある部分に氷枕を当て急激に身体を冷やすと共に解熱作用のある薬を注射しつつ点滴を一気に流す)
なんだかんだで2~3時間で体温が38度台まで下がってそのまま入院
検査の結果ただの風邪でしたw
2回目はインフルで1週間風呂入れず熱下がったので風呂入ったら夜に42度超、救急車で病院送りとなり結果肺炎発症からの2週間入院
人間あんがい丈夫なもんです
幼馴染のTくんは!?