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母の口癖は「(ウワキ繰り返す父と)離婚しないのは、お前の就職や結婚に差し障りがあるから。お前の為に我慢した」私(またか…) そして私は長い年月かけて少しづつ、母を否定して自分を癒してきた。しかし母が永遠に生きて私の寿命の方が先に尽きる気がする時、 心の中が修羅場となる
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1534037451/
抜歯して部分入れ歯を使うようになった。
それがきっかけで昔を思い出した。
私の母は恩着せがましい人だった。
浮気ばかりして同時進行に複数の愛人を持つような父と離婚しないのは、「お前(私)の就職や結婚に差し障りがあるから、お前の為に我慢した。」といつも私に言っていた。
「お母ちゃんはこんなに汗をかいてお前のブラウスにアイロンをかけているんだよ」と大声で私に言ったこともあった。
父が不在の時には私を殴った。
母は歯を磨くたびに「お前を産んだから~(以下略)」と私に言った。
あまり頻繁に言うから私の方から「お母ちゃんは私を産んだから歯が悪くなったんだね」と言うようになった。
私がそう言うと母は満足げにニコニコ顔になった。
ある日、母と買い物に行った時、近所の人に会った。
その人は歯医者の帰りで母は「私も歯医者に行かなければいけないのだけど、なかなか行けなくて」とその人に話した。
そこで私はすかさず「お母ちゃんは私を産んだから歯が悪くなったんだよ」と言った。
そう言ったら母もその人もニコニコしてくれると思って言った。
母は何も言わなかった。
私はニコニコしながら母を見上げていたが、なぜ母はニコニコしてくれないのだろう?と不思議だった。
帰り道、母は無言だった。
私は家に帰ったら母に殴られるか怒鳴られるに違いないが、何故かが分からないから「どうしよう、どうしよう」と、心の中がものすごい修羅場だった。
そして、それ以降、母は私に「お前を産んだから~」の話をしなかった。
私も母が歯を磨いていてもその話はしなかった。
しかし、その後もそれ以外の恩着せがましい事は言い続け、称賛も求め続けていた。
後年、私は結婚して子供を産んだ。
そして私も歯が悪くなった。
でも、子供に対して母のような事を言う気にならなかった。
むしろ、この子が元気に生まれ育つのだったら、私の歯でも骨でも何でも使ってくれてよいと思った。
そして、母は私を産みたくなかったのだとはっきり認識した。
本当はそれは既に分かっていた事だけど、はっきり分かった時は少し悲しかった。
それから長い年月かけて私は少しづつ、母に言い返したり、母を否定して自分で自分を癒してきた。
絶縁はしなかったが、私は高齢の母を引き取って同居するのも、「毎月、1週間程帰省して私(母)の世話をしろ」と言う母の要求も断った。
母はまだ要支援1だから自分で生活できる。
しかし、母曰く「お前の為に」母は老人ホームに入居した。
今もなお母は私に感謝と自分への称賛を求める。
「私(母)が歩いてトイレに行けることをお前は感謝すべきだ」と私によく言う。
「この年(90歳)で生きていて寝たきりではない事はスゴイ事だ」と称賛を求める。
私は母の他界を一日千秋の思いで待っている。
母が永遠に生きて私の寿命の方が先に尽きる気がする時、
心の中が修羅場となる。
>>799
言葉にできない苦労をなさったわね。
今のあなたご自身のお子様もずいぶん大きいでしょう。
なにかとおつかれさまでした。
思い出したくないことなのかもしれないけど、
お父様がしょっちゅう浮気にはしった詳しい理由とか、
おうちの暮らし向きとか、兄弟姉妹のこととか、
あなたがどういう人生を歩んでいらっしゃったのか、
差し支えなければ、教えてくださる?
>>802
レスをありがとうございます。
父が浮気を繰り返したのは、あのような母と一緒に過ごしたくなかったからだと思います。
そして、父の浮気が母の異常な承認要求を掻き立て、それがまた、父が家庭から遠ざかろうとする・・といった悪循環がうまれたと思います。
私は両親の事で心の中に澱のようなものが溜まって苦しくなると、おーぷん2chで吐き出させて頂いています。
皆さまのレスを読ませて頂き、やっぱりあの人たちは異常だったのだと自分に言い聞かせています。
それがなければ私はとうに狂っていたと思います。
PC画面の向こうの見えない方々に感謝しています。
父は自分の人生は自分の好きに生きるという人でした。
父の事は以前書かせていただきました。
https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1469787430
の819の「次のオリンピックまで生きられない」とつぶやいた父です。
シドニー五輪(2004年)の閉会式を見ながら、当時77歳の毒父は
「自分は北京オリンピック(2008年)まで生きられない、これが最後の夏のオリンピックだ」
とさも悲しげに言った。
これが普通の父親であれば、「そんな事はないよ」と励ますところだが、母も私も白けていた。
父はいつも「もうすぐ死ぬから、好きにやらせて」と言って、めちゃくちゃな事をしてきた。
駅のホーム・銀行・役所等で列に並ばない・順番を待てないところから始まって、いろいろな社会のルールを無視した。
交通事故も一年に一回は起こした。
わけの分からん姉ちゃんに金を渡して、いかがわしい行為をしてもらっていた。
孫(私の息子)の進学先・就職先にも口を出した。
電話魔でいろいろな人に(普通の人の観点で)用もないのに「大切な事(例えば、痔持ちの自分が便秘で苦しい)」と言って電話をかけた。
父は「問題行動のデパート」「苦情収集機」のような糞毒父だった。
若い時は「女性問題の専門店」と呼ばれた人だった。
父は「自分は高齢」という口実を得て、ますます言う事を聞かなくなった。
多くの医者からは出禁にされ、処方箋を持たないのに薬局に自分の考え通りの薬を「よこせ」と言って警察を呼ばれた。
少しでも具合が悪いと病院に行き入院して、自分勝手な行動で追い出されることを繰り返した。
東京は病院が多いから父がいくら追い出されても、行ける病院が尽きなかった。
家族である母や私が呼ばれ、「監督不行き届き」で叱られた。
母や私が咎めると、父は「うるさい」「放っておいたら良い」と言うだけで行動を改めなかった。
父は兄弟が多く、家が貧しかったので、父は祖父(父の父)から「いらない子」と言われて育ったらしい。
祖母(父の母)が父の看病をしようとすると祖父が「死んだら良いから放っておけ」と言った事を悔しそうに私に話したことがある。
祖母は早くに亡くなった。
父は若い頃に結核になって「自分は長く生きられない」が頭にこびりついたせいか、「生きて居るうちに好きな事をする」がモットーとなり、周りの迷惑を考えない、とんでもなく迷惑な人間になった。
そんな父が家で転倒し階段から落ちて入院した。
やはり、入院先でも医師・看護師の言う事を聞かず、めちゃくちゃな行動があり、高齢もあって「認知症」の診断が出て精神病院に転院することになった。
精神病院では、今までの病院のような医師・看護師の方々の「困ります!!!!」「何ですかあの人は?!!」的な反応がないので私はその点では楽だった。
父は精神病院で、心が穏やかになる薬を処方され、怒鳴らなくなっていった。
かわりに幼子の様に看護師に甘えて、かまってもらいたがるようになった。
亡くなった時、父は穏やかな顔していた。
「生きて居るうちに好きな事をする」。
そんな人生で父は楽しかったのだろうか?
ただただ、お母さんに優しくされ、何でも許され、かまってもらいたかったのだと思う。
それは社会のどこにも無かった。
無いものを探し続けて、周りの人を不幸にして父は2016年リオ・オリンピックの直前に亡くなった
だから、離婚しようと思えばできたのですが、799でのように「お前(私)の為に我慢」し定年退職しました。
幼い頃は兄とは仲が良かったですが、私の結婚式で母が兄に出席しても目立つなと言ったらしく、それ以降は疎遠になりました。
私がその事実を知ったのは何年も後で取り返しがつかないまま、年月が経ちました。
学生時代、母は私が恋愛をするのを全力で阻止しようとしたのですが、私が26歳を過ぎると突然、
「なぜお前は誰とも結婚できないのだ」
「お前は女らしくないからだ」
と怒り出しました。
しかし、結婚する気がない私がお見合いをしたとて、お相手もそんな私を見てお断りされることが続きました。
両親は私がお相手に断れらたら激怒し、「こんな良い人を捕まえられないお前がおかしいからだ」と怒っていました。
ある時、紹介してくれた人の事を両親が気に入りませんでした。
どこか気に入らなかったのか良く分からないけれど、「こんな人を紹介するなんて」と仲人さんの陰口を言っていました。
しかし、その人が私は一番良いと思って結婚しました。
今でも母は夫の事を気に入りません。
「母が居なくても私は困らない。居ないほうが心が安らかだ。だから私は極力、母も父も死んだと思って暮らそう」と日々過ごしています。
が、時折、母が永遠に生きるような気がするのです。
長文を書き、申し訳ありませんでした。
そして、ありがとうございました。
トイレ掃除やゴミ捨てなど小学生でもできることは手伝ってたのかな
母に言われてではなく自発的に
>>804
おっしゃる通りです。
この「自発的に」が私の幼い日々の命運を握っていました
母に言われる前に私から手伝い、母の労を労わないと母は怒り狂いました。
仕事から帰って来た母に毎日「お仕事お疲れ様」的な事を一生懸命言わないと、母が帰宅するまでに私がやっておかなけければならない家事の出来具合を叱責されました。
進学やクラブ活動を選ぶのも、母の望む事を母より先に「自発的に」言わないと何時間も「お前は何も分かっていない」と叱責されました。
804さんが母の事をよく分かっておいでなので、ちょっと驚いています。
子供心になんでそんなこというんだろって思ってた
799さんとこみたいな毒親ではなかったけど恩着せがましいところはあるから気持ちはわかる
>>803
大変なご苦労をなさったのね。
私があなたと同じ環境だったら、とても今日まで生き延びてこられたと言い切る自信はありません。
逆境にめげることなく、ねばり強くご自身の人生を切り拓いていらしたことに敬意を表します。
お父様が2016年にお亡くなりになり、お母様もまた90歳という高齢になられて、
あなた自身の立場からこれまでの人生を総括し、区切りをつけたいという気持ちがおありなのでしょう。
他人様のご両親に対して失礼千万なことは百も承知で言うのだけど、
あなたのお父様、お母様ともに、誰がどうみてもかなり重度の毒親で、
あなたがご両親にされたことの多くは、今ならほぼ間違いなく虐待行為と判定されるでしょう。
つまり、ご両親があなたにしてきたことは社会的に許されない虐待行為だった、とハッキリと認識する。
これが大前提。
その上で、お父様、お母様がそれぞれあなたに対してそのような行動にはしった背景を理解する。
まずお父様。
子だくさんの貧しい家庭に生まれ、父親から「お前は要らない子だ」と言われ続け、
病気になったら「こいつは死んでも構わないから、放っておけ」などと言われるような環境では、まともなメンタリティを持って生きなさいと要求するほうが酷な気もするのよね。
お父様は、「自分のような価値のない人間が生きていること自体、とてつもない罪悪なのではなかろうか」という絶望感を、いつも心のどこかで抱えて、おどおどしていたのではないのかしら。
不運なことに、お母様も、ある意味ではお父様と似通ったところがある人だった。
あなたはお母様と同じ女性だから、お母様の言動がひと一倍強烈な承認要求からくるものだと早くから気付くことができたけど、お父様は、お母様の態度や言葉がただただ恐ろしく、どう対処したらいいのかわからなかったのだと思う。
男の人にとっては、自分が精神科の専門医でもないかぎり、女が要求をヒステリックに叫ぶ姿というものは、恐怖の対象でしかないのよ。
だから、お母様がお父様を責めれば責めるほど、逆効果になった。
お母様も自尊心や自己肯定感の薄い人だったんじゃないかしら。
公務員として働きながら子育てと両立してがんばっていても、その価値を認めてくれる人はなく、他方で、女として愛したり愛されたりする欲求も満たされない…
お母様は、いつも何か大切なものが欠落した思いを抱えてみえて、
その欠落を、あなたを意のままに支配することで穴埋めしようとした。
お母様があなたに送り続けていたメッセージは、
「私が称賛されるべき価値ある女であることを、おまえは身を以って証明続けなさい」
というものだったのでしょう。
あなたがお見合いを繰り返すなかで「一番いいと思った人」との結婚を、お母様が強く反対した理由はただひとつ。
あなたが結婚して幸せになるのがどうしても許せなかったからです。
あなたが結婚して幸せになれば、お母様はご自分が娘よりも価値のない女である現実を否応なく思い知らされることになる。
お母様があなたに望んだのは、ご自分同様の不幸な結婚だったのでしょう。
>>803
>幼い頃は兄とは仲が良かったですが、私の結婚式で母が兄に出席しても目立つなと言ったらしく、それ以降は疎遠になりました。
これは確かにそのままにしておいたら、あなたに悔いが残るわね。
どういう形がいいのかわからないけど、あなたの息子さんの何かのお祝い事があるときに、
あなたのお兄様をお呼びして、そのお祝いの席が終わった後、
ご兄妹おふたりだけでじっくりお話になってはいかがでしょうか。
>夫とは穏やかな日々を過ごさせて頂いています
あなたを救ったのは、まぎれもなくご主人です。
ご主人はあなたにとって、人を信じ、人を愛する喜びを教えてくれた大恩人でしょう。
第二の恩人は、あなたの息子さんではないでしょうか。
あなたは、息子さんのおかげで、親として必要とされ、
子どもを守って生きていくかけがえのない価値に気付き、
どんどん成長していったのだと思います。
>時折、母が永遠に生きるような気がする
それは、お母様がいくら願っても手に入れられなかった「夫との穏やかな日々」をあなたが手にしたことに対する、
あなた自身の後ろめたさの反映なのかもしれません。
もしそうだとしても、気に病むことはありませんよ。
あなたは女性として、お母様という存在を乗り越えたのです。
そして、お母様にほんのちょっぴり感謝しましょう。
あなたがご主人と出会うきっかけとなったのも、元をただせば、
26歳を過ぎたあなたに突然、お母様が結婚をせかし出したことにありました。
事情はどうあれ、お母様にそのとき結婚をせかされることがなければ、
素晴らしいご主人と出会うこともなかったはずです。
「お母さん、今の夫と出会うきっかけをつくってくれてありがとう」と、心の中で一言感謝しましょう。
その一言で、まがりなりにも自分を育ててくれた親に対する娘としての筋は通したことになりますよ。
あとは、あなた自身の人生を生きてください。
いつまでもご夫婦お幸せに。
>>818
親身になって下さった温かいレスをありがとうございます。
確かに母にとって私は母自身の存在証明だったと思います。
一生懸命、娘に尽くした母として生きたという証明だったと。
だから、私が徹底的に不幸だと自分の力不足となってしまうが、
私が完璧に幸福だと自分より良い人生をおくったことになり許せない、
だから、母の自尊心を満足させる程度の人生を送らせたかったと思います。
夫に巡り会えたのは母のおかげです。夫に対する母の評価は毀誉褒貶が入り雑じっています。
「お前が結婚して幸せになれたのは私が仲人さんを知っていたからだ」
「お前があんな理屈ぽい人と結婚したから、お前まで理屈っぽくなって私に言い返すようになってしまった。結婚するまで優しい優しい子だったのに。」
母の心は自分自身でも把握できないのでしょう。
何度も私はそれこそ自発的に母に対して「夫と結婚できた」事への感謝を言いました。
そして母も事有る毎に「お前は一人娘で親元にいるべきなのに、結婚させてやった」と感謝を求めます。
母の承認要求は底が無いのです。
そんなになるまで否定され続け(たであろう)承認要求の塊になってしまった母の人生も、
「好きな事を一生懸命しないとダメだ」と自分で自分を駆り立てるように
滅茶苦茶をしなければならなかった父の人生も気の毒だったと思います。
兄との関係修復も含め、私も一生懸命、自分の人生を生きようと思います。
ありがとうございました。
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