- 嫁『間男が数百万やるって言うから離婚して。ちなみに娘は托卵だよ』夫「了解」間男(意外とあっさりだな・・)離婚後、近所「け、警察ー!!」元嫁の所に警察が → なんと・・・
- 顔面ボコボコで血だらけのトメ「嫁子に暴行された」夫『警察呼ぶ、裁判もするからな』私「え?」 → 近所「自分で転んだみたいだよ」夫「!?」私「離婚ね」 → 結果・・・・
- 嫁が不在の間、風呂に入ってた16歳の娘に思わず手を出してしまった。娘(大暴れ)俺(未遂かぁ・・) → 娘「警察には言わないで」嫁『離婚』 → 俺「離婚?いやだ!」
- 新居に荷物を運んで様子を見に行くと、コウトとコトメが友人を多数連れ込んで行為三昧 → 私『通報する』夫「やりすぎ」 → 加害者全員に賠償を請求すると・・・
- 買ったドーナツの袋とレシートをBBAに奪われた。私『返して!』BBA「これは私の」別のBBA2人組「さっさと謝れ」 → 店員「あなた(私)が購入した覚えはない」私『え』
- 娘が結婚する事になった。娘『式挙げるけどお父さんは縁起悪いから招待できない、ごめんね』俺「うん。そりゃそうだ。そうだよな」 → しかし・・・・・
- 朝起きたら義実家全員がすごい形相で睨んで俺を待ってた。義家族「ウワキしやがって」俺『え?』「証拠ある」 → 興信所「警察ではダメ。今すぐ弁護士に」俺『!?』結果・・・
- 娘「ケーキもパパも要らない」誕生日ケーキとプレゼントがごみ箱に捨てられてた → 数ヶ月後、俺『妻と娘は最初からいなかった事にする』妻&娘「!?」 → 緑の紙は既に提出済み
- 帰宅すると部屋がもぬけの殻になっていた。嫁『娘は義父と養子縁組するので養育費はいらない』俺「離婚したくない(号泣」両親「離婚して他の女を探せ」 → 俺「おk」数年後・・・
- 彼女「ごめん…もう嘘はついていられない」俺「…なにを?」彼女「実は…」彼女が告白した想定外すぎる嘘。俺には受け止めることができない。
- 上司「取引先からクレームが来た。お前は出入り禁止になったから担当を変える」俺「理由はなんですか!?」上司「飯の食べ方らしい。ちょっと見せてみなさい」 → そして上司たちとファミレスに行った結果。
- 暴力部長『ラオウ』がいる支店に生贄として出張することになった。ラオウ「邪魔だ!帰れ!」俺はラオウに殴られた → 俺の同行者「…待っていて下さいね」俺「!?」なんと。
- お兄ちゃんと買い物してたら友達と会った → 友「彼氏さん?」私 「ちがう、お兄ちゃん」友「!?」兄と腕組んで歩いてただけなのにスゴい引かれた。神経わからんよね。
- 嫁が間男の子供を妊娠して離婚。そして俺は間男の元嫁と再婚した。しかし5年後、なんと元嫁から連絡がくる → 元嫁「実は。。」俺「!?」今嫁「助けてあげて」俺「!?」
【画像】戦前日本の建物を紹介する【建物好き必見】
東京駅:東京都
1914年完成のレンガ造
設計は辰野金吾
建築家、辰野金吾の代表建築の一つ
長大な駅舎に大ドームやその他の塔を配置し、非常に美しい外観となっている
1945年の空襲でアメリカ軍の焼夷弾が直撃し大火災が発生
終戦直後から体制を整えて仮の修復工事を行った
その後、駅舎の本格復元工事が2007年から開始され、2012年に完了した
原宿駅:東京都
1924年完成の木造建築
設計は長谷川馨
木造駅舎としては都内最古のものである
中央に小塔が立ち、正面出入り口の上部にはステンドグラスが使用されている
1945年にアメリカ軍爆撃機より複数の直撃弾を受けたが、奇跡的に全弾不発であったため焼失を免れた
2016年に駅舎の建替えが発表され、建物の保存は検討中である
日光駅:栃木県
1912年完成の木造建築
設計者は明石虎雄
日光は当時から東照宮や中禅寺湖などへの観光客も多く、賑わいを見せていた
駅舎2階は一等客室であり、天井に施された美しい装飾が残っている
長年にかけて何度も改修が行われ、駅の内装は大きく様変わりしてしまったが2009年に開業120周年を記念して内装がレトロ調に変更された
三越日本橋店:東京都
1927年完成の鉄筋コンクリート造
設計は横河民輔
関東大震災で倒壊した初代本館に代わり、1927年に新館として現存する建物が完成
建物はルネサンス様式で、入口付近の煌びやかな装飾は見事
内部は中央に5階吹き抜けの大ホールがあり、開放的な構造となっている
イギリスの一流彫刻家、鋳造家が3年という長い期間をかけて完成させたこの像はイギリスでも大きな話題となった
伊勢丹百貨店本店:東京都
1933年完成の鉄筋コンクリート造
設計、施工共に清水組による
伊勢丹の創業地は秋葉原であったが、後に新宿に進出
当時、新宿の大手百貨店であったほてい屋の隣接地を取得し、ほてい屋と同じデザインのビルを建築
これは伊勢丹側がほてい屋を買収する算段が整っており、その後の店舗吸収も視野に入れていたための行為である
1935年、ほてい屋は伊勢丹に買収され、二つのビルをつなげる工事が行われた
建物外装に施されていた美しい装飾は戦後の改修工事により、1階部分を除いて全て失われた
旧北海道庁:北海道
1888年完成のレンガ造
設計は平井晴二郎
建築資材の多くに北海道産のものが使用され、中央部に八角形のドームが立つ
1909年に札幌大火が発生し、庁舎も炎に包まれ内部はそのほぼ全てが焼失
しかしレンガの外壁は損傷が無かったため、1911年に中央のドームを撤去して復旧された
そして1968年に北海道開拓100周年を記念してドームが復元され、当初の姿を取り戻した
山形県庁(文翔館):山形県
1916年完成のレンガ造
設計は中條精一郎、田原新之助
初代県庁舎が山形市大火で焼失したため、1916年にレンガ造の二代目県庁舎が完成
建物はレンガの外壁に花崗岩の石貼りであり、庁舎中央に立上がる時計塔が特徴
内部も大理石の柱や漆喰による装飾などが見事であり、庁舎建築の最高傑作とも言われる
新庁舎の完成に伴い、しばらくは事務所として使用されていたが1984年に重要文化財に指定され、約9年の歳月をかけて修復を行い一般に公開した
茨城県庁(茨城県庁三の丸庁舎):茨城県
1930年完成の鉄筋コンクリート造
設計は置塩章
外壁は茶褐色のスクラッチタイル貼り、中央塔の下に県の花である薔薇のレリーフが見られる
内部は階段部分に茨城県産の大理石が使用されており重厚な造りとなっている
もともと建物は3階建てであったが1954年に4階部分を増築
しかしこれにより建物の耐震性が著しく低下
東日本大震災では中央塔と増築した4階部分に被害が集中しており、2012年に復元工事が行われて本来の3階建に戻された
群馬県庁(群馬県庁昭和庁舎):群馬県
1928完成の鉄筋コンクリート造
設計は佐藤功一
屋上庭園やスチーム暖房、押ボタン式自動消火器など当時としては最新の設備を誇る建物であり、関東一の庁舎と言われた
完成時に行われた一般公開では3日間で約30万人もの見学者が訪れた
外観は1階部分を石張りとし2、3階をスクラッチタイル張りとしている
1999年に隣接地に新庁舎が完成し、現在は一般に公開されている
栃木県庁(栃木県庁昭和館):栃木県
1938年完成の鉄筋コンクリート造
設計は佐藤功一
栃木県の県庁舎としては4代目
コンクリート造りの4代目庁舎は完成から約65年もの長きに渡り県政の中心であった
ロの字型の庁舎であり、中庭が存在した
2008年に正面部分のみを移築し、昭和館として一般向けに開放
貴賓室、正庁などの大部屋は壁紙やシャンデリア、椅子等も忠実に復元されている
神奈川県庁:神奈川県
1928年完成の鉄筋コンクリート造
設計は県内務部が担当
関東大震災で大きな被害を受けた神奈川県は、庁舎の立替えを計画
震災の教訓を活かし、耐震構造学の専門家を顧問に迎えて設計が行われた
完成した庁舎は外壁全面にスクラッチタイルを貼り付け、中央に高さ49メートルもの和風の塔が建ち上がる
この鉄筋コンクリートの棟に和風の屋根を乗せるデザインは帝冠様式と言われるもので、1920年代に日本で生み出された様式である
旧函館区公会堂:北海道
1910年完成の木造建築
設計は小西朝次郎
正面にバルコニーを設けており、玄関周りにはコリント式の柱が配されている
内部は2階の大広間が見所で、ヴォールト式の天井を有している
1974年に重要文化財に指定され、現在は一般向けに公開されている
出ますよ
岩手県公会堂:岩手県
1927年完成の鉄筋コンクリート造
設計は佐藤功一
1923年に昭和天皇(当時は皇太子)の御成婚記念として建設された
完成当時の公会堂は県会議事堂、多目的ホール、西洋料理店、賓客等の宿泊所として複数の機能を備えていた
西洋料理店はフランス料理レストラン「公会堂多賀」で、会館時から現在も営業している
長年補修などが行われなかったことから老朽化が問題となり、一時は取り壊しも議論された
しかし2006年に国の登録有形文化財に指定され、2009年に耐震、復元工事が行われた
日比谷公会堂・市政会館:東京都
1929年完成の鉄筋コンクリート造
設計は佐藤功一
日比谷公園内に安田善次郎から350万円(現在の約140億円相当)の寄付金を受けて着工した
建物は北側部分を公会堂とし、残りを市政会館とした
垂直性が強いデザインでゴシック風の印象を受けるが、ゴシック様式の特徴であるリブヴォールトや尖頭アーチなどは見られない
外壁全面にレンガ風のタイルを貼り付けており、中央に時計塔が立つ
郡山市公会堂:福島県
1925年完成の鉄筋コンクリート造
設計は荻原貞雄
1924年に郡山市の市制施行を記念して建築された
外観は1階部分の連続半円アーチの柱廊と2階部分に連窓がデザインされており、角の時計塔が目を引く
2005年には改修工事が行われ音響、照明設備が一新された他、建設当初のステンドグラスなども復元された
横浜市開港記念会館:神奈川県
1927年に復元のレンガ造
設計は福田重義、山田七五郎らによる
1917年に横浜港開港50周年記念事業として建設された
関東大震災で倒壊したが、1927年に初期のデザインを元に復元
現在に至るまで「ジャックの塔」の愛称で親しまれている
終戦後はアメリカ軍に接収され、1958年に返還された
1989年に重要文化財に指定された
北海道帝国大学林学教室(北海道大学 古河記念講堂):北海道
1909年完成の木造建築
設計は新山平四郎
北海道帝国大学は1876年に設立された札幌農学校が前身となっている
1907年に東北帝国大学農科大学として帝国大学に昇格し、1918年に北海道帝国大学となった
建物は木造建築で、左右にマンサード屋根を設け、中央には時鐘が取りつけられた小塔が立つ
現在は非公開であり、内部に立入る事はできない
東京帝国大学大講堂(東京大学 安田講堂):東京都
1925年完成の鉄筋コンクリート造
設計は内田祥三
東京帝国大学は欧米諸国の制度に倣った日本国内で初の近代的な大学として設立された
言わずと知れた日本の名門大学の代名詞であり、アジア圏では常にトップクラスの学力を誇る
講堂は安田善次郎の匿名を条件での寄付により建設された
正面玄関の上部には「大學」の文字がデザインされたステンドグラスがはめ込まれている
廊下の床には大理石で市松模様が施されており、アーチ状の天井が優雅さと重厚感を漂わせる
因みに、講堂は1968年に発生した東大紛争で全学共闘会議によって占拠され、所謂東大安田講堂事件によって講堂は荒れ果て、事件収束後もそのまま放置されていた
しかし富士銀行をはじめとする旧安田財閥ゆかりの企業の寄付もあり1988年から改修工事が行われ、1991年には再び講堂で卒業式が行われるようになった
早稲田大学大隈記念講堂:東京都
1927年完成の鉄筋コンクリート造
設計は佐藤功一、佐藤武夫らによる
早稲田大学は1882年に大隈重信によって設立された東京専門学校を前身として、1902年に早稲田大学の名称を使用するようになった
日本の私立大学では慶應義塾大学と共に最も古い段階で1920年の大学令に基づく大学となった
1922に大隈重信が逝去したため記念講堂の建設が行われることとなった
講堂はゴシック様式で、向かって左側に7階建の時計塔が立つ
この時計塔は大隈重信が提唱した「人生125歳説」に因んで、125尺の高さになっている
慶應義塾大学図書館旧館:東京都
1912年完成のレンガ造
設計は曾禰達蔵、中條精一郎らによる
慶應義塾大学は1858年に福澤諭吉によって設立された蘭学塾を前身としており、早稲田大学と並んで「私学の両雄」と称される
1907年に創立50周年を迎え、その記念事業として図書館が建設されることとなった
建物はゴシック様式のレンガ建築で、ラテン語が刻まれた時計がはめ込まれている
1945年の空襲でアメリカ軍爆撃機からの直撃弾を受け、天井が抜けて内部が焼失するなどの大きな被害を受けた
しかしレンガの外壁は大した被害を受けなかったため、1949年に修復工事が行われた
1982年に図書館新館が建てられ大部分の機能をそちらに譲ったが、現在も書庫として活用されている
旧米沢高等工業学校:山形県
1910年完成の木造建築
設計は中島泉次郎
旧制高等教育機関の一つで、工業に関する専門教育が行われた
建物は中央の両端に階段室が突き出しており、そこから両翼が長く伸びて全長は94mにもなる
現在は資料館として一般向けに公開されているが、内部の見学は要予約
深谷商業学校(深谷商業高等学校記念館):埼玉県
1922年完成の木造建築
設計は濱名源吉
1921年に設置された町立深谷商業学校が前身となっている
地元の有力者である大谷藤豊が私財を投じて建設した
中央に時鐘が取りつけられた小塔が立ち、両翼には半円形の破風飾りが見られる
現在は日曜日に一般公開されている
学士会館:東京都
1928年完成の鉄筋コンクリート造
設計は佐野利器、高橋貞太郎らによる
帝国大学の卒業生を会員とする学士会の会館として建設された
かつては多くの会員で賑わい、著名人の講演や食事会などが催された
現在は一般にも公開されており、レストランや宿泊施設としても利用されている
旧弘前市立図書館:青森県
1906年完成の木造建築
設計は堀江佐吉
左右に配置された八角形の棟が特徴の建物
青森県出身の建築家である堀江佐吉などが中心となって建設された
1989年に弘前市の市制100周年記念事業の一環で郷土文学館として一般に公開
現在は1階と2階部分のみ公開されており、3階は非公開である
しかしながら戦災や天災、取り壊し等が相次ぎ、現存する堀江の作品は10棟ほどである
文化財登録されてるからめんどい
今は外観を保存したまま内部を新しくするリノベーションが流行っているそうです
大寶館:青森県
1915年完成の木造建築
設計は小林昌徳
大正天皇の即位を祝して建築された
中央の洋風の意匠は見事だが、特にドーム屋根が目を引く
完成当初は物産陳列所であったが、後に図書館となり、現在は郷土人物資料展示施設として利用されている
帝国図書館(国際子ども図書館):東京都
1929年完成のレンガ造一部鉄筋コンクリート造
設計は久留正道
1897年に帝国図書館官制が公布され、帝国図書館が設立された
当初の予定では広大な中庭を有した東洋一の大図書館となる予定であった
しかし、日露戦争の影響で予算が削られ、完成した建物は予定の1/3にすら満たない規模であった
戦後、子供の読書離れが問題となり、国際子ども図書館として2002年に開館
網走監獄庁舎(博物館網走監獄):北海道
1912年完成の木造建築
設計は司法省による
明治維新後、内乱などによる政治犯が続出し、全国の監獄はほぼ満員となっていた
さらにロシア帝国の脅威も無視できず、北海道開拓は絶対の課題であった
この二つの課題を解決すべく、政府は1881年に釧路に集治監を設置
ここに連れて来た囚人を開拓のために勤務させ、北海道防衛の足掛かりとした
1890年に中央道路開通作業を行うため、囚人を移動させて網走監獄を設置
その後1912年に擬洋風建築の庁舎が建てられ、1923年には正門も設けられた
現在は博物館網走監獄として一般に公開されている
明治から大正にかけて多く建てられた
千葉監獄:千葉県
1907年完成のレンガ造
設計は山下啓次郎
千葉監獄は明治五大監獄のうちの一つ
現役の刑務所ということもあって普段は見学や撮影などは許可されていない
年に1度開催される矯正展では敷地内に立ち入ることができ、外観のみであれば撮影も許可される
日光東照宮武徳殿:栃木県
1931年完成の木造建築
設計は大江新太郎
武徳殿は戦前の日本において武道の振興、教育を目的として設立された大日本武徳会の道場
1915年に設けられた参拝者の休憩所を増改築して完成した
建物は内外装とも朱塗りで、道場とは思えないほど華やかである
また、武道そのものも禁止され、特に剣道は日本人の戦闘精神の中心的な役割があったとみなされ、日本の占領が解かれるまで禁止され続けた
本部道場であった京都府の旧武徳殿は現存しており、現在も武徳祭を開催している
旧登米警察署:宮城県
1889年完成の木造建築
設計は山添喜三郎
木造2階建てで外壁を下見張りとし、中央部分にはバルコニーが設けられている
建物は1968年に新庁舎が完成した後は商工会が使用していたが、1988に警察資料館として一般向けに公開された
大日本帝国陸軍歩兵第四連隊兵舎(仙台市歴史民俗資料館):宮城県
1874年、若しくは1876年に完成した木造建築
設計者は不明
建物は2階建てで外壁は漆喰で仕上げられており、角部分に隅石が配されている
1875年に榴岡に歩兵第四連隊が置かれることとなり、1874年に兵舎が建てられた
さらに2年後に兵舎が増築され、合計で7棟の兵舎が存在した
終戦後に7棟全てが占領軍に接収され、1956年までアメリカ軍が使用した
1977年に公園整備のために6棟が取り壊され、残りの1棟は民俗資料館として一般に公開された
大日本帝国陸軍騎兵学校御馬見所(空挺館):千葉県
1911年完成の木造建築
設計者は不明
陸軍騎兵学校内に天皇が馬術などを天覧するために建てられた
終戦後はアメリカ軍に約8年間接収された
その後は陸上自衛隊によって「空挺館」と名称を改められて再利用されている
2012年に空挺館創立100周年を記念して改修工事が行われた
建物は痛みがひどく、接収時代に付けられた英語の落書きやペンキによる汚れ、ビールの空き缶なども発見された
改修工事が完了し、現在は非常に良好な状態で保存されている
大日本帝国陸軍近衛師団司令部(東京国立近代美術館 工芸館):東京都
1910年完成のレンガ造
設計は田村鎮
北の丸公園南端に建つゴシック様式の建物
近衛師団は大日本帝国軍の師団の一つで、天皇の護衛を担う部隊であった
1963年に建設省が森林公園計画を打ち出し、建物を取り壊すことで方針が決まった
これに文化庁が猛反対し、意見は真っ向から対立
議論は長く続いたが最終的に建物は保存されることで決着した
かつては中央と両翼のペディメント部分に菊の紋章がはめ込まれていたが、戦後に取り外されている
余談ではあるが北の丸には近衛師団司令部とは別に近衛師団の兵舎が存在しており、こちらは中央塔が目を引く大規模なレンガ建築だった
兵舎は終戦後まで無傷で残されていたが、建設省の森林公園整備によって取壊された
旭川偕行社(中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館):北海道
1902年完成の木造建築
設計は陸軍臨時建築部による
偕行社は戦前に陸軍の社交場として設立された組織
建物は木造2階建てで、正面には陸軍の紋章である五芒星が描かれている
終戦後アメリカ軍に接収され、返還後は放置されて見るも無残な姿となっていた
1968年に復元修理を行い、1994年から美術館として利用されている
遊就館:東京都
1931年完成の鉄筋コンクリート造
設計は伊東忠太
靖国神社の境内にある軍人や軍属に縁のある物品を展示する宝物館
1945年の空襲で焼夷弾の直撃を受け、大ホールが被害を受けたほか別館が全焼
日露戦争勝利の記念品や、幕末以来の貴重な絵画などが大量に失われた
その後GHQが靖国神社を焼き払い、ドッグレース場にする計画が出された
しかし、ローマ法王庁のブルーノ神父があまりにも酷すぎると強く反対
結果として靖国神社は存続し、遊就館も建物の取壊しを免れた
大日本帝国陸軍第七師団北鎮兵事記念館(北海道護国神社 平成館):北海道
1935年完成の鉄筋コンクリート造
設計は曾田久三郎
第七師団にまつわる装備品や戦利品が展示された建物
終戦後、各地で占領軍による日本軍勝利の記念品などの処分が進んでいた
記念館はその情報を聞き、館内の重要文書等を別の場所に密かに移し変えた
1962年に処分されたと思われていた第七師団歴史などの貴重文書が発見され、これを皮切りとして一般市民からも密かに保管していた戦利品が次々と寄贈された
現在、かつての展示品は陸上自衛隊旭川駐屯地に隣接する北鎮記念館に移され、建物は慰霊大祭の会場等で使用されている
大日本帝国海軍横須賀鎮守府(在日アメリカ海軍司令部):神奈川県(米軍横須賀ベース)
1926年完成の鉄筋コンクリート造
設計は島田秀夫、樋口一夫、菊地秀夫らによる
海軍条例によって全国5箇所に設置された鎮守府のひとつ
関東大震災で倒壊した初代庁舎と違い、モダニズム的な建物
終戦後アメリカ軍に接収され、現在も在日米海軍の司令部として使用されている
将校専用クラブ、下士官専用クラブなどに使用されており、自衛官も利用可能
当然ながら一般人の立ち入りは禁止であり、内部がどうなっているのか、もともと何の建物なのかは不明
軍人会館(九段会館);東京都
1934年完成の鉄筋コンクリート造
設計は川元良一
1928年に挙行された昭和天皇即位式典を記念して在郷軍人会が計画し、建設された
建物内の舞台前面の壁には陸軍の五芒星、海軍の錨の紋章が無数にあしらわれている
東日本大震災では天井が崩落し、2名の死者が出たことで建物は閉館
さらに2014年には取り壊しが発表され、跡地に高層建築物を建てることが決定した
積善館:群馬県
1930年完成の木造建築(一部鉄筋コンクリート造)
設計者は不明
四万温泉の老舗旅館の一つ
宿は1691年に建てられた本館、川沿いにある3階建ての前新、対岸の向新、本館背後の山荘の計4棟で構成されており、それぞれの建物が地下通路や橋で繋がっている
前新1階部分は「元禄の湯」という湯小屋でロマネスク様式となっており、5つの浴槽が並ぶ
また、1986年には山荘のさらに奥に佳松亭という新館が建てられた
横浜正金銀行本店(神奈川県立歴史博物館):神奈川県
1904年完成のレンガ造
設計は妻木頼黄
横浜正金銀行は貿易金融機関として1880年に設立された
建物は角にドームを置き、コリント式の柱で外観を構成している
各部の細かな装飾も全体の構成を考えて配置されており、非常に完成度の高い作品
1964年に神奈川県が建物を買い取り、改修工事を行って博物館として一般向けに開放した
後日関西地方の建物も紹介するのでそのときに
楽しみ
第五十九銀行本店(青森銀行記念館):青森県
1904年完成の木造建築
設計は堀江佐吉
第五十九銀行は1897年に設立され、現在の青森銀行の前身に当たる
建物は洋風だが、外壁は瓦を貼りつけて漆喰で仕上げるなど日本の技術が取り入れられている
1965年に建物の立替が発表されたが、地元市民の強い反対によって保存が決定
その後は青森銀行記念館として一般向けに開放されている
秋田銀行本店(秋田市立赤れんが郷土館):秋田県
1912年完成のレンガ造
設計は山口直昭
建物は1階が白の磁器タイルで2階が赤レンガの外壁となっている
2階の貴賓室が特に見所で、暖炉や扉の装飾などが非常に美しい
建物は1969年まで使用され続けたが、1981年に秋田市に寄贈された
現在は秋田市立赤れんが郷土館として一般向けに公開されている
盛岡銀行本店(岩手銀行赤レンガ館):岩手県
1911年完成のレンガ造
設計は辰野金吾
建物は3階建てのレンガ造で、辰野式の意匠が見られる
正面入口が設けられた棟は3階建てで、屋根部分には六角形のドームが乗る
また、左側には小塔、右側には切妻の棟が見られ、凹凸に富んだ外観を有している
岩手銀行中ノ橋支店として2012年まで利用され続けたが、同年6月に中ノ橋支店移転により改修工事が行われた
現在は記念館として一般に公開されている
第八十五銀行本店(埼玉りそな銀行川越支店):埼玉県
1918年完成の鉄筋コンクリート造
設計は保岡勝也
正面部分の高いドーム屋根が特徴の建物
建物内部は現役の銀行ということもあって撮影は不可
川越は「蔵の街」として見世蔵の建物が多数残っていることで有名であるが、近代建築も多数現存している
かつてはこの建物のドーム屋根が遠くからでもよく見え、地域のランドマークとして親しまれていた
日本勧業銀行本店(千葉トヨペット本店):千葉県
1899年完成の木造建築
設計は妻木頼黄
日本勧業銀行は農工業発展のための長期融資を目的に設立された特殊銀行
戦後に第一国立銀行などと合併し、みずほ銀行となる
建物は中央に寺社を思わせる唐破風を設け、左右の棟は切妻屋根となっている
日本銀行本館:東京都
1896年完成の鉄筋コンクリート造
設計は辰野金吾
日本銀行は1882年に日本銀行条例が公布されて設立された中央銀行
建物は上空から見ると「円」という形になっていることはよく知られている
しかし当時は「圓」という漢字を使用していたため、この形になったのは偶然であるとする意見がある一方
俗字としては以前から「円」と書かれていたため、やはり意図的にこの形にしたという意見もある
事前申込みにより内部の見学が可能
明治生命館:東京都
1934年完成の鉄筋コンクリート造
設計は岡田信一郎、岡田捷五郎らによる
明治生命の社屋として約3年7ヶ月の年月をかけて建てられた
1階部分にはアーチ窓が連なり、2階から6階にかけて力強いコリント式のオーダーが見られる
明治安田生命は2001年に「こういう建物は二度と建てる事はできない」として全面保存を決定
破損箇所の修復や外壁の洗浄を行い、内装もほぼ完璧な形で保存された
現在も相談センターとして現役で利用されており、土日は無料で一般公開されている
旧日本郵船小樽支店:北海道
1906年完成の石造
設計は佐立七次郎
日本郵船は日本の三大海運会社の1つ
2階の大会議室は壁に金唐革紙が使用されている
この金唐革紙は和紙に金箔を貼りつけて作成される日本の高級壁紙
第二次世界大戦後に建物はアメリカ軍に接収された
返還後に改修工事を行ったが、貴賓室や会議室などは接収時に米兵が金唐革紙にタバコを押し付けて穴を開けたり、壁に汚れをつけるなどしていたため新しい金唐革紙の壁紙を作成することとなった
金唐革紙の製作技術は既に失われており、日本画家などが中心となって技術を復活させ、復元は無事成功した
また、青森銀行記念館の2階の天井にも金唐革紙が残っているが、これは明治の創業時からのものであり非常に貴重なものである
金唐革紙はその美しさから海外からの評判も良く、バッキンガム宮殿などにも日本の金唐革紙が使用されている
三井本館:東京都
1929年完成の鉄筋コンクリート造
設計はアメリカのトローブリッジ・アンド・リヴィングストン社による
新古典主義建築は18世紀にフランスで興った建築様式で、ロココなどの過剰な装飾性に反発して誕生した
派手な装飾よりも厳粛さを重視した様式で、古代ギリシャ建築を模範としている
外観はコリント式の列柱が非常に美しく、外壁には御影石が使用されている
内部は天井の装飾や大理石による市松模様の床に巨大な柱など見所は数え切れない
三井北海道別邸(北海道知事公館):北海道
1936年完成の木造建築
設計は萩原惇正
別邸と表記されているが個人の邸宅ではなく三井財閥の迎賓館である
ハーフティンバーを用いた美しい外観を有する
終戦後アメリカ軍に接収され、返還後は北海道知事の公館として利用されている
一般に公開されており、事前予約により見学が可能
康楽館:秋田県
1910年完成の木造建築
設計は山本辰之助
洋風の外観を持つ芝居小屋
内部は花道や桟敷などを備えた和風芝居小屋の構造
移築や復元を行っておらず、現在も現役の芝居小屋としては日本最古である
2002年に重要文化財に指定された
札幌麦酒会社 精麦工場(サッポロビール博物館):北海道
1890年完成のレンガ造
設計は北海道庁建築課による
札幌製糖会社の工場を札幌麦酒会社が買収し、ビールの精麦工場として増改築を行った
建物は4階建てで、ステンドグラスや屋根に同社のシンボルである五稜星が見られる
現在は一般公開されており、博物館のほかビヤホールとしても利用されている
シャトーカミヤ:茨城県
1903年完成のレンガ造
設計は岡田時太郎
シャトーカミヤは神谷伝兵衛によって日本初の本格的ワイン醸造場として設立された
日本国内でワインの製造は以前から行われていたが、葡萄の栽培からビン詰めまで全てを一貫生産したのはシャトーカミヤが始めてである
本館を通って奥へ進むと醸造場と貯蔵庫がある
貯蔵庫は現在レストランとして利用されている
小坂鉱山事務所:秋田県
1905年完成の木造建築
設計は小坂鉱山工作課による
小坂鉱山は秋田県鹿角郡小坂町に存在する鉱山で、かつては銀の生産量日本一の鉱山であった
建物は1997年まで現役で利用されていたが製錬所拡張に伴い解体された
その後、その歴史的価値の高さから2001年に小坂鉱山病院跡地に移築された
周辺は「明治百年通り」と呼ばれており、多くの近代建築が建ち並ぶ
十和田ホテル:秋田県
1938年完成の木造建築
設計は長倉謙介
十和田湖に面して建てられており、全ての部屋から湖を眺めることができる
1940年に開催予定であった東京オリンピックで日本を訪れる外国人観光客のために建てられたホテルであったが、ホテルが完成したその年に政府が五輪開催権を返上
そして終戦を迎え、観光客に日本の美しい自然と文化を楽しんでもらおうと心血注いで建てられたこのホテルに最初に訪れたのは皮肉にも接収にやって来たアメリカの占領軍であった
ホテルはそのまま接収されたが、このままではいけないと秋田県がホテルを米軍から買い戻し、その後は秋田県観光公社が運営に当たっている
現在は内外装とも非常によく整備されており、新築と見紛う程である
日光金谷ホテル:栃木県
1893年完成の木造建築
設計者は不明
日光の山々を臨む高台に建つ日本最古のリゾートホテル
東照宮の楽師をしていた金谷善一郎が自宅の一部を外国人の宿泊施設として開業した「金谷カッテージ・イン」が起源
金谷は工事途中で放置されていた三角ホテルに目をつけ、これを買収
1893年にホテルを完成させ、日光金谷ホテルの名称で同年開業した
内部は入口上部の龍の彫刻や2階のロビーに見られる鳥居型の鑑枠など、東照宮を思わせる装飾が随所に見られる
ホテルニューグランド:神奈川県
1927年完成の鉄筋コンクリート造
設計は渡辺仁
ホテルニューグランドは関東大震災で倒壊したグランドホテルの後身として開業した
建物はロの字型の低層部にコの字型の客室棟を重ねて中廊下を設けており、角部分には創業の年である1927の文字が刻まれている
内部は正面から入ると大階段があり、階段にはイタリア産のタイルが使用されている
「最新式設備とフレンチスタイルの料理」をキャッチフレーズに、特に料理には力を注いだ
ドリア、ナポリタン、プリンアラモードなどはこのホテルで生み出された料理であり、いかに創意工夫がなされていたかがうかがえる
富士屋ホテル:神奈川県
1891年完成の木造建築
設計は河原兵次郎
外国人を対象としたリゾートホテルとして開業
1891年に現在も現役で使われている本館が完成、その後に西洋館、花御殿という新たな宿泊棟が建てられた
本館は和風の外観を有しながらも内部は洋風であるが、内部も装飾に関しては和風の色合いが強い
これは宿泊客の外国人に日本の文化を知ってもらおうという考えからである
終戦後はアメリカ軍に接収され、1952年に接収は解除された
浜名湖ホテル(箱根プリンスホテル別館「龍宮殿」):神奈川県
1936年完成の木造、一部鉄筋コンクリート造
設計は飛鳥繁
静岡県の浜名湖にある景勝地、弁天島に建設された
外観は和風であるのに対し、内部は全室ベッド付きの洋室で料理はフランス料理が提供された
また、駅からホテルへの送迎には車ではなく馬車が使用され、馬車に乗りたいがために訪れる客までいたという
終戦後は1957年より箱根プリンスホテルの別館として新たに使われることとなり、神奈川県に移築された
洋間は全て改装され、全室和室となった
当時ホテル内には高級な調度品が多く置かれていたが、これらが占領軍に根こそぎ略奪された
返還後はベッドすら持ち去られて無くなっており、ホテルの経営者は愕然としたという
結局、箱根プリンスホテルの別館としての話があるまでは廃屋として放置されていた
豊平館:北海道
1880年完成の木造建築
設計は安達喜幸
北海道開拓使によって高級ホテルとして建造された
明治天皇の札幌行幸の際の宿泊所として初めて利用され、その後は要人の宿泊や祝賀会などにも利用された
終戦後はアメリカ軍に接収され、1947年に札幌市に返還された
現在は一般に公開されている
目黒雅叙園三号館(百段階段):東京都
1935年完成の木造建築
目黒雅叙園は細川力蔵が1931年に開業した料亭
園内には多くの和風建築が存在し、そのどれもが現在では再現不可能な職人の技術が散りばめられたものであった
金、銀などの七宝や元幕府お抱えの有名画家による壁画など豪華絢爛な建物群は終戦まで完璧に残っていたが、目黒川の護岸工事とアルコタワーの建設でほぼ全てが取り壊された
現在では三号館ただ一棟が残るのみである
しかし美術館の閉鎖に伴ってそれらも全国に散らばり、現在の所在は不明である
旧石川組製糸西洋館:埼玉県
1921年完成の木造建築
設計は室岡惣七
石川組製糸は石川幾太郎によって1893年に創設された
貿易商のアメリカ人を豊岡に招くにあたり
「日本の豊岡を外国人に見くびられては恥だ」として豪華な迎賓館を建設した
終戦後はアメリカ軍に接収され、現在は入間市が管理している
野口喜一郎邸(和光荘):北海道
1922年完成の木造建築
設計は佐立忠雄
日本酒「北の誉」の酒造元である野口家の邸宅として建てられた
建物正面はアールデコを基調とした洋館
背面には仏殿と呼ばれる和館が付属している
2015年より期間限定で一般公開を開始した(※要予約)
旧岩崎邸洋館:東京都
1896年完成の木造建築
設計はジョサイア・コンドル
岩崎家は三菱財閥の創業者一族である
建物は正面玄関のある3階建ての棟が特徴
全体的に重厚さよりも繊細さを意識した装飾がなされており、各部屋や廊下の壁には金唐革紙が使用されていた
敷地内には洋館の他に和館や撞球室があり、これら全てが重要文化財に指定されている
現在は修復工事中であるが、見学は可能
旧前田公爵邸洋館:東京都
1929年完成の鉄筋コンクリート造
設計は高橋禎太郎
陸軍大将である前田利為の邸宅として建てられた
25歳の若さで貴族院侯爵議員となり、1911年には陸軍大学校を卒業
1942年9月、ボルネオ沖にて前田の乗った航空機が消息を絶ち、後に機体の残骸と遺体が発見された
愛用していた軍刀「陀羅尼勝国」は無残に折れ曲がっていた
建物は終戦後アメリカ軍に接収され、1964年に東京都に返還された
現在は修復工事中
旧小笠原邸:東京都
1927年完成の鉄筋コンクリート造
設計は曽禰中條建築事務所による
旧小倉藩主の小笠原長幹の邸宅として建てられた
建物は当時流行していたスペイン風のデザイン
内部は喫煙室の装飾が素晴らしく、イスラム風のデザインが施されている
終戦後はアメリカ軍に接収され、1952年に東京都に返還された
現在はレストラン小笠原邸としてスペイン料理が提供されている
旧古河男爵邸:東京都
1917年完成のレンガ造
設計はジョサイア・コンドル
古河財閥3代目当主の古河虎之助の自宅として建設された
窓枠の白と外壁の新小松石の黒とのコントラストが美しい
終戦後はイギリスに接収され、1952年に返還された
現在は敷地全体が国有となっており、東京都が借り受けて一般に公開している
庭園の見学は自由であるが、建物内部の見学は要予約
藤田謙一別邸 洋館:青森県
1919年完成の木造建築
設計は堀江金造
弘前出身の実業家である藤田謙一が東京から庭師を招いて日本庭園と洋風庭園を作らせた
洋館は洋風庭園内の高地に建てられており、八角形の塔屋や玄関先まで下ろされた屋根が特徴
内部も細部まで意匠を凝らした贅沢な造りとなっている
現在は藤田記念庭園として庭園、建物共に見学可能であり、洋館には喫茶店が入っている
現在の和館は北津軽郡にあった菊池邸を移築したもの
こちらも職人の技が光る見事な和風建築であり、必見である
大倉精神文化研究所(横浜市大倉山記念館):神奈川県
1932年完成の鉄筋コンクリート造
設計は長野宇平治
大倉精神文化研究所は東洋大学学長を務めた大倉邦彦によって創設された
建物はプレヘレニック様式というギリシャ風建築
現在は文化施設として主に音楽会や美術展などに利用されている
群馬県衛生所(桐生明治館):群馬県
1887年完成の木造建築
設計は須藤代吉
外観は屋根部分が和風なのに対し、壁面部分に洋風の意匠が集中している
また、中央の屋根部分の破風には菊の紋章がはめ込まれている
1976年に重要文化財に指定され、名称を「桐生明治館」として一般向けに公開された
済生館(山形市郷土館):山形県
1878年完成の木造建築
設計は筒井明俊
済生館は1873年に私立病院として設立された
1904年には山形市の運営となった
建物は正面が3階建となっており、1階部分は中庭を囲むドーナツ型である
現在は山形市郷土館として一般に公開されている
表慶館:東京都
1909年完成のレンガ、石造
設計は片山東熊
大正天皇の御成婚を記念して建設された美術展示場
建設費は国民からの寄付で、全国から約20億円に相当する額が集まった
隅々まで贅を尽くした見事な建物で、館内には9つの展示室がある
東京帝国博物館(東京国立博物館 本館):東京都
1937年完成の鉄筋コンクリート造
設計は渡辺仁
関東大震災で倒壊した初代帝国博物館に代わって建設された
近年、ドラマや映画などで建物の中央ホールが利用され、目にする機会が多い
日本の木造建築を鉄筋コンクリートに置き換えたような外観であるが、これはデザイン選考の条件で「日本趣味を基調とした東洋式」という指定があったためである
東京科学博物館本館(国立科学博物館日本館):東京都
1931年完成の鉄筋コンクリート造
設計は糟谷謙三
地上3階建て、地下1階建てで通常の展示室のほか映写機の付いた講堂や赤道儀室なども備えていた
この他にも貴賓室などをはじめ館内の装飾も見事であり、実用性と芸術性を兼ね備えた施設である
内部は装飾が美しく、特に玄関ホールは天井や照明などどれをとっても一級品
全く関係無いただの建物好きです
聖徳記念絵画館:東京都
1926年完成の鉄筋コンクリート造
設計は高橋貞太郎
明治神宮外苑にある美術館であり、神宮外苑の中心的な建物
幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた絵画が約80点展示されている
現在は建物の後方に高層ビルが建築されたため、青山通りから絵画館を見たとき左側からビルが大きく突き出す形となってしまった
このビルに関しては以前から国内外から反対の声があったが、結局それらは無視される事となった
フランスの機関からは「東京は美しい景観を自ら破壊した」と酷評され「先進国家として恥ずべき事」などの厳しい声があがった
日本水準原点標庫:東京都
1891年完成の石造
設計は佐立七次郎
国会前庭の洋式庭園内にある建造物
内部の日本水準原点を保護するためのもので、菊の紋章があしらわれた扉を開けると目盛が刻まれた水晶の板があり、これが日本水準原点である
また、ペディメント下部には「大日本帝國」の文字が刻まれており、石碑などを除けば大日本帝国の国号が刻まれた現存する唯一の公的建造物である
帝国議会議事堂(国会議事堂):東京都
1936年完成の鉄筋コンクリート造
設計は内閣臨時建築局
帝国議会を行うための建物として建造された
内部は中央広間から貴族院と衆議院の議場に左右に続く廊下を通って行くことができる
中央広間からそのまま直進すると皇族専用の階段があり、正面に天皇専用の御休所という部屋がある
かつては御休所の窓から美しい富士山を見ることができたが、現在は高層ビルなどで見えなくなってしまった
また、室内のシャンデリアはガラスではなく水晶でできており、出入口の大理石の扉枠も組み合わされたものではなく、一つの巨大な大理石から削り出して作製された
この御休所1室に議事堂の総工費の1割の費用がつぎ込まれたという
枢密院庁舎(皇宮警察本部):東京都(皇居敷地内)
1921年完成の鉄筋コンクリート造
設計は大蔵省臨時議院建築局
枢密院は戦前の日本における、天皇の最高諮問機関
1947年に日本国憲法の施行に伴って廃止された
発足当初の会議は皇居(明治宮殿)で開かれていたが、1921年に庁舎が建設された
現在は皇宮警察本部として再利用されている
天鏡閣:福島県
1908年完成の木造建築
設計は木子幸三郎
宮家の一つである有栖川宮(ありすがわのみや)の第四王子である有栖川宮威仁親王の別邸として建てられた
建物は屋根に八角塔が乗る特徴的な外観を有し、内部には撞球室などが備えられている
また、室内のシャンデリアなどは当時からのものであり、細かな装飾が施されており大変美しい
年中無休で一般公開が行われており、建物内には威仁親王ゆかりの品々が展示されている
東宮御所(赤坂迎賓館):東京都
1909年に落成したレンガ、石造
設計は片山東熊
当時皇太子であった大正天皇のために建設された
明治宮殿と異なり、建材はその多くが外国産
落成後、明治天皇は東宮御所を訪れたが、あからさまに権力を誇示するような内外装を嫌い、再び訪れることはなかった
また大正天皇、昭和天皇も派手過ぎる内外装や住居としての使い勝手の悪さを理由にほとんど利用しなかった
その後は所有権が皇室から国に譲渡され、現在は迎賓館として利用されている
2009年に国宝に指定された
また、同じく片山が設計した奈良県の帝国博物館も県民から「醜悪な西洋建築で古都の景観を破壊した」と大批判を受けている
しかしながら「建物は芸術品でなければならない」と語った片山の作品はどれも見事で、間違いなく近代日本を代表する名建築家の一人であろう
日光田母沢御用邸:栃木県
1899年完成の木造建築
基本設計は宮内省による
御用邸は1899年に創設されたが、建物は江戸時代からあった資産家の邸宅を再利用している
その後に明治、大正と増築が繰り返され、3つの時代の棟が一つの建物として見事に調和している
内部の杉戸には幕府お抱えの有名絵師をはじめ、狩野派や住吉派の一流絵師達による絵付けがなされている
戦前は昭和天皇や今上天皇も頻繁に利用していたが1947年に廃用となり、現在は一般に公開されている
各県ともごく一部の建物しか紹介できなくて申し訳ない
公会堂は一般開放していますので、旧盛岡銀行と併せて(中心街、徒歩10分の距離です)機会がありましたらご覧ください。
それは知りませんでした
廃業とは残念です
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